前にも言うたけど、庭の左奥に根源さんの小さなお社があるやろ。あれは神様でも仏様でもない。一応はお伊勢さんの内宮の形をしておるけどな。あれはわしが勝手につくった。
あのなかには、なんも入っていない。わしの考え方が入っておるだけや。根源という考え方が入っておると。あそこへお客さんを案内すると、必ず、根源さんというのはなんですかと聞かれるな。あそこでいちいち説明せんといかん。それがあの場所では面倒やなあ。きみ、案内しておって、やはり聞かれるか?そやろうな。
根源という考え方を持ったの理由
どうして根源という考え方を、わしが持ったか。それはな、こういうことや。考えてみれば不思議やろ。わしのような、一般的には、なんも恵まれておらなかった者が、一応の成果を上げ得たということ。
きみ、うちの会社の売上金額は、東南アジアの国々の国家予算よりも大きいのやないやろうかなあ。それほどまでに大きくなった。実力のない自分が実に不思議やなあと、わしは思ったんや。そやろ。
正直言うと、なぜこうなったのか、それらしい説明は、さっき言うてみたけどな、本当のところの理由は、わしにも、ようわからんのや。しかし、こうなったと。世界的な会社に伍する会社をつくることができたと。けどね、わしの実力があったからではないと思うんや。運というか、たまたまこういうふうになったのやないか。ありがたいと。そう思うんや。
それで、あるとき考えた。ならば、自分をこういうふうに存在させてくれたものに、感謝せんといかん。誰がわしを存在させたんか。考えたら、それは両親やと。これはわしの両親に感謝せんといかんと、そう思った。
しかし、それでは、わしの両親はどうして存在したのやろうか、とすぐ思った。それはそのまた両親からやと。うん、わしのおじいさん、おばあさんやな。しかしそのおじいさん、おばあさんたちはどうなのか、というと、そのまた両親からということに、当然、なるわね。それでは、その両親は、ということで、どんどん考えていったら、ついには人間の始祖にたどり着いた。そこで、わしという人間は、初めての人間から連綿と血がつながっておるということに思い至ったんや。
わしだけではない。きみもそうやで。人間みんな始祖とつながっておる。とすると、今日、わしがこうして存在しておることに対しては、両親や、そのまた両親に感謝せんといかんということは、もちろんのことやけど、初めての人間、始祖やな、始祖に感謝せんといかんと。そう思った。
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