楠木:学者の世界に入ってくる経緯はまさに王道ですね。まず問題意識があって、研究をしようと思われたわけですから。
僕はまったく逆です。みんな就職活動するけれど、自分は仕事なんていうのはぜひ避けたい。先生たちに「自分の好きなことを仕事にすればいい」と言われても、好きなことがわからない。ミルクしか飲んだことのない赤ん坊に「どんな料理が好き?」と聞くようなもので、働いたこともない学生には何が好きなのかわからないですよ。しょうがないから「イヤなことはしない」という方針を立てた。で、これはイヤ、あれはイヤ、ほとんどのことがイヤだとわかった(笑)。
結局、僕の好きなことは「読書・オン・ザ・ベッド」。あとは考えごと。そういう成り行きで今があるわけで、研究の世界への入り方としては僕は完全な邪道ですね。三宅さんはその点、問題意識がちゃんとおありです。
三宅:でも、その問題意識は内発的なものではないのですよ。故郷が災害に直面して、雷鳴を受けるみたいに轟いたものです。もし震災がなかったら違う道を行っていましたね。メディア志望者が多い早稲田の商学部だったし、最近、本についての取材を受けるたびに「ああ、昔は編集者かライターになりたかったなぁ」と思い出します。司馬遼太郎さんが好きで経営史のゼミに入り、文章を読んだり書いたりするのが好きで、あまり遊びの輪に入れないダサい学生でした(笑)。
楠木:僕も書くのは好きで、最初のエッセイを出版したのは中学生。自分で製本して自分で読んでいただけですが(笑)。大学院では好きなことができていましたか?
三宅:経営史のゼミだったこともあり、産業集積が歴史的にどうできて、どうすれば栄えるかを修士論文にしました。田崎真珠や大月真珠といった養殖真珠は神戸の地場産業です。なぜ真珠商人たちが集まって国際的な問屋街ができたかを歴史的に調べ、細かく証拠を集めていったのです。
今でも自分の論文のなかでは一番論理的かつ精緻にできていると思っていますが、指導教員からは不評でした。経営史の大家アルフレッド・チャンドラーの著作の翻訳の中心になった先生で、ビッグビジネスを基盤とした経営学のフレームができている。いっぽう僕の論文はマスプロのスケールメリットが何もない。
「三宅君は中小企業なんか回っているけれど、そんなの研究しても何の意味もない」とみんなの前で言われたりしました。自分では「この研究を役に立てたいし、いつかは役に立つ」と思っているし、当時は先生を尊敬していたし、悩みました。
楠木:当時は、ですか。今は尊敬していない?
三宅:今はすっかり吹っ切れまして(笑)。自分のフレームに倣うつもりがまるでないので、かわいくなかったのだと思いますけれどね。
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