社会不適応者の僕らが、学者になるまで
「新しい市場のつくりかた」著者、三宅秀道氏の好き嫌い(上)

きっかけは阪神・淡路大震災
楠木:初めてお目にかかるのに非常に僭越ですけれど、僕は三宅さんには自分と同じにおいを感じていました。『新しい市場のつくりかた』(東洋経済新報社刊)を読ませていただいて、まず内容がおもしろい。しかも仕事への構えみたいなものが自分によく似ているように思えて、興味がわきました。阪神大震災がきっかけで、震災からの復興の役に立とうと思われたわけですね。
三宅:僕の実家は神戸で、1995年1月の震災のときは大学3年でした。当時のスケジュールだと就職活動が始まる時期です。東京の大学に通っていたし、実家はたいした被害を受けませんでしたが、知り合いの多くに連絡が取れなくなりまして。故郷に帰ってみたら、母校の近くは焼野原でかなりショックを受けました。物理的に被害がひどいところは生存の危機ですし、そうでなくても中小企業は深刻に見えました。
産業組織のシステムが一部でも崩壊したら、ほかにも波及して仕事ができなくなりますよね。それがきっかけで地域産業コミュニティを連鎖的にうまく生かせるような研究ができたらと思い、産業集積の研究をすることにしました。まあこれは、きれいに言ったバージョン(笑)。震災の衝撃で就活シーズンがパニックのままで過ぎちゃったので、大学院に逃げ込んだところもあったと思います。