三宅:大学に就職されたのに、手品師なのですか?
楠木:論文を書いて、学会発表をするのが「研究」という仕事の1つでしょう。本当にやりたいことがないくせに、やっているうちに小知恵が付いてくる。「こういう研究をして、学会発表でこういうふうにやるとわりと好意的に評価されるな。こうやると外すな」と、その辺の勘所がわかってくるじゃないですか。自分が何を研究したいかじゃなく、ネタを仕込むという感覚です。「はい、ハトが出ますよ。ほら出た、パチパチパチ」というのを繰り返す感覚。
30歳過ぎて、さすがにマズイと感じました。「大学をやめてもっときちんとしたビジネスの仕事に就こうか」と一瞬思いましたが、そんな大変なことできっこない。そもそもそっちがダメだから大学にいるわけです。三宅さんと僕は根っこが同じで、本を読んだり書いたりするのが好きな引きこもりタイプのようで。僕はもわりと社会不適応で、友だちも少なかった。いまでもそうですけど。
三宅:ああ、もうもう、僕も! 楠木先生を不適応者と言っているみたいで失礼ですけど、僕も家で本を読んでいたら一番幸せですね(笑)。不適応というのも、もう、すごくありました。修士論文のために真珠の問屋さんたちを訪ねると、「神戸出身の若い院生が地場産業を調べている」と感激して、親切に協力してくださった。
僕が「全体でゲーム理論的なことが起きて、レピュテーションがいろいろと溜まって、いいポジティブフィードバックが起きて、神戸に問屋さんが集まったと思います」みたいな話をしたら、問屋さんたちは「今まで部分部分しか知らなかったけれど全体像が見えた。問屋街は、この仕組みを意識して守らなきゃいけないね」と評価してくださったのです。
それが大学での論文審査では通じません。ジュエリーの世界は近代的な工業が絡まない。ショーウインドウに飾ったら値段が10倍みたいな怪しげな面もある。養殖は漁業だし、加工は鋳造だし、販売はサービス業です。審査員の先生がたは「三宅君。きみは本当にチャンドラーを読んだのか?」と呆れるし、あまりにも問題意識がすれ違ってしまっていたと思います。
楠木:三宅さんと僕は根っこが同じで、入り方がだいぶ違って、今は似たような仕事をしているというのが、おもしろいですよね。内発的動機のあるバージョンと成り行きまかせのバージョン。
三宅:いや、僕も内発的動機ではないですし、運命に鞭打たれるようにというか。今でも覚えていますが、阪神淡路大震災から3年ぐらいは、1日1日、自分の仮説や調査が進んでいないと後ろめたくて眠れませんでした。
楠木:それはもう完全に内発的ですよ。
三宅:そうですか? 自分では全然そう思えなくて、外から何かに脅されるようにというか、本当に苦しくて。でも、お話をうかがってみるとそうかもしれませんね。
(構成:青木由美子、撮影:大澤誠)
※ 後編に続く
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