「教育学部を出て社会経験もなく新卒採用」された学校教員にそれは無理だという意見もあるし、子どもの貧困取材の中で学校教員に失望し切っている僕は、その声に賛同せざるをえない。だが、適性判断のガイドラインぐらいは作れるだろうし、教員にその子の将来に責任を持つ意識を抱かせるぐらいはできる。小中高の教員が、それぞれ担当した子どもの職業適性について「進級進学時の申し送り」をすることぐらいできるだろう。
これまでの著作でも僕は、セックスワーカーの女性や特殊詐欺犯罪の現場で働く男の子に突出した才能やセンスをもった子が時たまいて、この子がほかの職業に就いていたらどれほど活躍しただろうという猛烈な喪失感を感じたと書いてきた。あの無駄こそが、徒労こそが、日本の貧困なのだと思う。
続いて、成人後の貧困者支援についてだ。まず成人前、それもできればローティーン時に支援につながることが何よりなのだが、その後の貧困については、まず貧困リスクの高い層をあらかじめ捕捉し、予防線を張ることが望ましい。
「明日の生活への不安」という暴力
明日の生活への不安や日々の迫り来る支払いという大きなストレスに追われることは、いわば見えない暴力や恫喝に耐え続けるようなもので、その間が長ければ長いほど、貧困の「困」が深まり、脳にダメージを負っていく。そのダメージが深まってからでは、生活保護などの支援・扶助にたどり着いた後に、再び働「ける」ようになるまで大幅な休養(というよりは治癒)の期間が必要になってしまう。ようやく生活保護にたどり着いた時点では、もうズタボロ。
この状態はいわば、「病院がめちゃ遠い」状態だ。ケガをして病院に歩いて向かうが、その病院が遠くて、乗せて行ってくれる車もなくて、自力で歩いているうちにどんどん悪化し、全治までの時間が当初のケガよりも大幅に伸びてしまったような。これがおそらく、現状の生活保護と貧困者の最大の距離感と感じている。
ならば、このように傷を深める前に支援の手につなげるようなポイントを考えるべきだと思うのだ。
貧困リスクの高い層の捕捉は、それほど難しい話ではない。
たとえば失業保険受給者に、「万が一、生活保護を受ける際のわかりやすいガイドライン」を手渡す。ハローワークにもそうした相談部署があってしかるべきだ。精神科と貧困支援の窓口が併設されていないのは、どう考えても大きすぎる手落ちだ。
こうした捕捉のポイントは、これまでさんざん見世物コンテンツとして消費されてきた貧困当事者のケースワークからでも容易に考えつく。貧困転落リスクが高い者の特徴は、再三コンテンツ化されてきているからだ。
たとえば未婚で妊婦検診を受ける女性、DV被害から離婚を選んだ女性、過去に虐待や育児放棄環境で育ったエピソードを持つ若者。学校で給食費などの滞納や学用品の購入困難がある家庭、医療の窓口で支払い困難がある者、各種税の滞納者。
こうしたポイントで捕捉できた者たちに「いざ困ったときにはこうしたらいいですよ」と伝えることが、逆に差別的であるとか失礼なおせっかいのように言われるなら、その時点で貧困者を差別する社会から脱却できていないと自認すべきだ。
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