なので、まず子どもの貧困については「相対的貧困」という指標は一部分を意味するものにすぎない。支援すべきは相対的貧困線を割った世帯の親子のみならず、養育者が養育者として機能していない世帯の子どもすべてだろう。それが子どもの貧困当事者でもあるし、将来の貧困予備軍でもあるから。
これが見直したい大前提だ。
この前提のうえで、未就学からローティーン世代の子どもの支援として提言できるのは、「利用したくなる居場所ケア」だ。居場所ケアについては政策サイドでも地域単位でもその必要性が高らかに言われているが、ちょっとしたズレを感じているところでもある。
僕自身もこれまでの著書で子どもの貧困に居場所ケアは必要と訴えてきたが、それはすでに家出生活の中で売春やセックスワークの中に生きるようになった少女たちへの取材の中で、「子どもの頃に欲しかったものは何か」という質問に「24時間やってる学童」「ゲーセンみたいな学童」といった返答があったのが端緒だった。
すでに非行まっしぐらの少女らの口から「学童」という言葉が出てきたのが意外だったが、実際、親の育児放棄や貧困があって非行化した子どもも、小学校低学年まではそれぞれの生育地域の学童保育(的なサービス)を利用していたケースはかなりある。
そして彼らに共通の記憶が、「なんで学童、夜開いてねーんだよ」だ。
複数の取材対象者に共通のエピソードが、こんなものだ。
小学校が終わって放課後に友達と遊ぶ。親が家にいる子は夕飯の時間までに帰るが、帰っても親がいない家の子は、腹を減らして家に帰って親を待つ。お菓子ぐらいはあることが多いようだが(一方でレトルト食品やカップ麺が段ボール箱単位であって食べ放題というのも定番エピソードだが)、独り小腹を満たして親を待つ。
低所得世帯の親の帰宅は、遅い
低所得世帯の親の帰宅はまずもって遅い。働かないから貧困ではなく、働いても稼げなくて貧困な親の世帯ほど問題が深い。低所得者ほど長時間労働だったりダブルワーカー、トリプルワーカーなのは各種データのとおりだが、夜9時10時となって帰宅して、子どもに当たり散らしたり、夫婦間のいさかいが始まったり。これが虐待のゴールデンタイムだ。そんな状況に、幼い彼ら彼女らは耐えられずに家を飛び出したり、追い出されたりする。
どこに行こう、向かう先が、夕方までいた学童保育だったり児童館だ。だけど、暗い夜道を歩いてたどり着いた学童は門が閉ざされ電気も落とされ、静まり返った施設を前に、子どもは絶望し立ちすくむ。
これが「24時間やってる学童」が欲しい理由。行き場がなくなったときにちょっと立ち寄って、親から距離を置いたり、空腹を満たすことができたり、親が落ち着いて迎えに来るのを待てるような場所だ。
一方で「ゲーセンみたいな学童」は、彼ら彼女らが小学校高学年以上になって求めるもの。上記のような家庭環境の少年少女らだが、そうした環境が継続する中で年を重ねると、それなりに居場所を得ていくことになる。それが、遅くまでいても文句を言われないゲーセン(2000年代中盤の条例改正でほぼなくなったが)、育児放棄状態で親は帰宅しないがカネと食べ物だけは用意してある地元の友達の家、そしてもうひとつが「コンビニとファミレスの駐車場」だ。
こうした場所を転々としながら、ほかの育児放棄だけどカネは渡されているという子どもにタカったり、渡されたカネを譲り合ったりで飢えをしのぐというのもまた、取材で聞き取れる定番ケース。そこで知り合った「悪い先輩」たちの影響で売春や盗みの世界に入っていくというのも、これまた定番ケースだ。
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