「脳に問題がある人は働けず、貧困に陥る」の是非 貧困は全世代層に「普遍的なリスク」になった

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顔を覆うミドルビジネスマン
目や足の不自由な者には差別的に感じなかった表現がなぜ「脳が不自由」の表現では差別的に感じられるのか?(写真:mits/PIXTA)
経済的に困窮しているなら働けばいいのではと思う人は多いのではないでしょうか。でも精神的な障害があり、働きたくても働けない人もいます。周囲からはわかりにくい「精神(脳)障害」と就労の困難さについて、新刊『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』を上梓した、自身が認知機能障害の当事者でもある鈴木大介氏に聞きました。

なぜ差別の危惧を感じるのか?

「脳に不自由があるものは働けず、結果として必然的に貧困に陥る」

「脳に障害がある者は貧困になる」

こんな言及をすると、必ずといっていいほど批判の声が寄せられる。たとえば「脳を貧困の原因とすることは、差別を助長しかねない」とい危惧する声などだ。

筆者は以前から、人は低所得に加えて「3つの無縁」(家族の無縁、地域の無縁、制度の無縁)と「3つの障害」(知的障害・発達障害・精神障害)から貧困に陥ると述べてきた。後者については貧困者=障害者であるとミスリードされかねないことから、「3つの障害を挙げることは差別論にもつながりかねないので慎重を要するが」などと10年前に刊行した『最貧困女子』でもエクスキューズを一言加えていた。

だが、今思えばこの配慮、不要だったと思っている。

改めて問いたい。

「働けないのは脳に問題があるからだ」

「脳に問題があるものは働けず、結果として必然的に貧困に陥る」

なぜこうした表現に、差別を危惧する声が多いのだろう?

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