「脳に問題がある人は働けず、貧困に陥る」の是非 貧困は全世代層に「普遍的なリスク」になった

✎ 1〜 ✎ 8 ✎ 9 ✎ 10 ✎ 11
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

5年10年と長い時間をかけて徐々に脳の機能を再び獲得することは可能ではあるが、この障害を持つことで僕自身は、過去の取材対象者らからたびたび聞き取っていた「働くことが難しい」「当たり前の日常のタスクをこなすことにすら困難を感じている」という訴えを、わが身をもって知ることとなった。

例えば過去の著作で、DVと離婚のストレスからうつ病を発症して失職した元看護士のシングルマザーの話として、以下のようなものを紹介した。

「お金の計算も私、できない。買い物に行くとレジに表示された値段見るじゃないですか。それを見てお財布からお金を出そうとすると、いくらだったか忘れる。もう一度見ても、お財布を見ると忘れる。店員さんに、お金を数えてもらう。こんな私が、どんな仕事をできるかって……」

この話を本でそのまま紹介しながら、自分は当時、本当の意味ではその実態がどれほど過酷かまでは理解できていなかったと、僕自身がまったく同じ「レジ会計でお金を数えられない」という体験をすることで、痛感した。

レジスターに表示された、たった3桁や4桁の会計額を目を離した瞬間に忘れてしまう。多くの人には信じられないことかもしれないが、これは「作業記憶」と呼ばれる、ごく短期の記憶の機能が失われた結果だ。この症状は発達障害でも認知症でも僕のもつ高次脳機能障害でも、この取材対象者のようなうつ病診断者でも、精神障害に分類される疾患や障害を持つ者には比較的普遍的な症状として知られている。

貧困に陥るのも当然

後悔したというのは、当時の取材で「こんな私が、どんな仕事をできるかって……」という絶望の声を聞き取りながら、この「数桁の数字すら忘れてしまうこと」が、就労を継続するうえでどれほど致命的に波及するのかまで考えなかったこと。

たかが「忘れっぽい」とされるような症状であっても、見聞きしたことが頭の中から次々消えてしまうその症状のせいで、文章の読解、他者の言葉の聞き取りや理解、諸条件を脳内で比較検討して次の行動を選択すること、他者との約束事を遂行することといった、実務上のあらゆるタスクに壊滅的な影響を及ぼすことを、想像すらしなかったという点だ。

作業記憶の低下は認知機能にまつわる数多の症状のひとつにすぎないが、まさかその症状がこんなにも広範囲に人の働くことを阻害してくるとは、思いもよらなかった。だが、自身がその当事者となってみれば、断言できる。

次ページなぜ差別的に感じられるのか?
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事