「脳に問題がある人は働けず、貧困に陥る」の是非 貧困は全世代層に「普遍的なリスク」になった

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一方で、

「歩けないのは足に問題があるからだ」

「足に問題があるものは歩くのが困難で、健脚の者が到達できる目的地に、同じ条件で到達できない」

「本が読めないのは、目に問題があるからだ」

「目に問題がある者は墨字が読めず、一般的に売られている本を読むことができない」

これらの言葉に、多くの人は差別の危惧など感じないと思う。

足や目に問題を抱えることで健常者同様の条件でタスクをこなせないという必然の事実に、差別などさしはさむ余地がないからだ。かつては視力に問題のあることや歩行に問題のあることそのものを差別する感情や用語もあったが、今ではそれを思うことも口にすることも、愚劣で恥ずべきことというのが、社会通念となっている。

だが、脳に何らかの不自由があることで働くのが困難であることが事実で、その結果として貧困に陥るリスクが非常に高まるのが必然ならば、足や目の例えと何が違うのだろう?

働くうえでの大きな不自由

僕自身は10年前、脳梗塞を機に高次脳機能障害という認知機能障害の当事者となったことで、今も働くうえで大きな不自由を抱え続けている。聞きなれない障害かもしれないが、分類としては精神障害であり、「後天的に突然発症する発達障害」、「かなり進行した状態で突然発症する認知症」とでもいうべき障害でもある。

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