貧困者にとって「望ましい支援」とは何なのか 専門性を持つ支援者が相互協力すべきだ

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現状の子どもの貧困ケア改革でどうしても外せない最後の一要素、これが非常に提案しづらい部分だ。ざっくり言えば「義務教育世代から始める、就業ベースの教育」である。

昨今、子どもの貧困に対してさまざまな社会的な動きが活発化して、たいへんありがたいと思うが、その一方でちょっと無視できない論が流布しつつあるように感じている。まず現行の「子どもの貧困対策法」の大綱は、教育支援、生活支援、保護者の就労支援、経済的支援だったはずだが、予算がついたのはほとんど「貧困世帯の子どもの遅れがちな学習を取り戻す」、つまり教育支援に限定されていたように思う。

子どもの貧困=学力の低下=国の産業・生産力の低下=国家リスク。だからどんな子どもにも「勉学と進学の支援をすべき」という論。その論自体は全然間違っていないし、教育の機会均等は僕自身も随分著作内で主張してきた部分でもある。が、少々前言撤回だ。

なぜなら第一に、教育政策で救えるのは勉強が得意な子だけで、そこに集中した支援は結局「知の格差」を広げることにもつながりかねない。加えてそれ以上に主張したいのは、昨今この論は、子どもの貧困というキーワードをビジネスソースにしようとしている産業に利用されているように思えてならないということだ。

「教育産業」の食い物にされてはならない

そもそも現在の日本は、4大を卒業しても貧困リスクから免れるとはとても言えない状況にある。いわゆるFランク大学の卒業生への取材で驚いたのが、意外にも中堅大学と比較して就職率が高いように感じたこと。だが憂慮すべきは、その就職先が以前であれば高卒で就業していたような職種ばかりだということだ。

「指導講師が頑張って就職先を探してくれたんです!」

と目を輝かせる「情報処理系大学」の卒業生の就職先が、パチンコ屋のホールスタッフと聞いて、ちょっと愕然とした。

そして何より耐えがたいのが、Fランク大学に通っていた間の学費や生活費を「親がどこかに借りている」「最終的に自分で返す」という感覚が新卒者の中で当たり前の感覚になっていることだった。

そもそも彼らが大学4年間で払ったカネは、必要だったのだろうか? 数百万円の学費を借り入れて福祉系の学科を卒業した後に、月収15万円に満たない、生活保護の受給額とさほど変わらない低賃金の介護職に就く若者。その大学生活4年間は、何だったのか。そう考えたときに、猛烈な喪失感を感じざるをえないのだ。

昨今の子どもの貧困支援の中で大きな潮流である「教育改革=進学ベースの教育支援」は、間違っても「教育産業」の食い物にされてはならない。

必要なのは、進学ベースだけではなく「就業ベースでの教育支援」ではないか。責任重大なのは、小中学校と高校の教員。彼らには、単に子どもにより高い学力をつけることだけでなく、その子どもが将来、どんな職業で活躍する可能性があるのかの適性判断をし、そのビジョンに従ってコースをアドバイスしていく専門性が求められる。

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