彼はそこに存在するのに、主人公はその存在を気にしないで素通りするというシーンがあったとする。そうなると、心情的に、なんだかちょっと守衛さんに手を貸したくなっちゃうんですよ(笑)。
まったく知らない役者さんを見て、「この人は普段はいったいどんな暮らしをしているんだろう」とか、「子どもがいる感じがするな」とか、勝手に想像するんです。で、たまにちょっと話しかけてみたりすると、「あ、意外にお金持ちなのかな」と思ったりとか。
そこからまた、「家に帰ったら奥さんにまた冷たい目で見られてるのかな」とか、「子どもには役者だって言っているけど、テレビじゃ見たことねえよなと言われているのかな」とか、さらに想像を広げるんです。そうすると、エンターテインメントの人間としては、その人に今晩、いつもよりもおいしいビールを飲ませてあげたいなと思うようになるんです。それぐらいのことができないと、本当に感動したりとか、みんなが楽しんだりするようなものは作れないんじゃないのかと思っていて。
――「いつもよりおいしいビールを飲ませてあげたい」という部分をもう少し詳しく教えていただけませんか?
プロというのは、売れれば売れるほど、場数をたくさん踏んでいるわけなんで、非日常でいることが日常化していくわけですよ。もちろん人気商売だから、いつ仕事がなくなるかわからないけれど、とりあえず明日も明後日も撮影は続いていく。
そんな状況の中で、それでも、それぞれの中に、もっと何かを表現したいというような、くすぶっているものがあるわけですよ。それで、そこに着火させるというか、場所を提供するということですよね。もともと映画というものは、据えたカメラの枠の外に出ることができないという、非常に不自由な仕事なんですよ。でも僕は「枠から出てもいいですよ」と言うようにしています。その動きを「手持ちのカメラで追いかけますから」と言えば、そういう場所から、何かが生まれてくるような気がするんです。
完成されたものを味わうということも、エンターテインメントの魅力だとは思います。しかし一方で、「どうなるんだろう?」というような、不完全ながらも未知の魅力にあふれている不安定さも、また、エンターテインメントの魅力だと思うんですよ。特に俳優さんたちが注目されて、スターになっていく最初のきっかけはそこだと思います。お芝居はまだ全然できていないけど、なんかすごく気になるよね、という可能性を見いだされるのです。
(撮影:今井康一)
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