ワクワクしたり、パッケージとしてよくできている作品は、結果的に出来上がるものであって、最初からそれを目指すようなものではない。もしそれを目指すのならば、そのためにきちんとプランを立てて、ここの笑顔は最後の涙を誘うために入れておく、といったような戦略的なモノ作りをすることになる。もちろんそういう映画の作り方もあってもいいと思う。
でも、僕はもっと直感的に取り組みたい。僕なんかはもともとずっとオリジナルビデオやVシネマで好き勝手やってきた人間なんで。今は、それがただの延長線上にあるだけですから。大作であっても、作り方はVシネマとまったく一緒なんですよ。お客さんがどうこうということは、あまり考えていないですね。好きなようにやっているだけです。
――しかし、観客のことを考えずに作ったはずの作品が、逆にエンターテインメント性の高い作品に仕上がっているというのは、面白い矛盾ですね。
結局、日本人というものは、バランスをとってしまう民族だということがあるのかもしれません。破綻させようと思っていても、どこかでリミッターがかかってしまう。まとめようと思わなくても、まとめてしまう民族なんですよね。だからあえてそれ以上、自分から意図的に、どうやってまとめていくかということは、あんまり考えないようにしているんです。
――考えなくても、おのずとまとまっていくという。
これはもう日本人のクセみたいなものですよ。小ぢんまりまとまっちゃう。で、そこに感動があったり涙があったりすると、うれしいみたいな。ただ、僕なんかは、感動的な音楽が流れた瞬間にもう気持ち悪くなるタイプなんですが、あまり極端な映画ばっかり作るわけにもいかないので、そのあたりは適当にごまかしています。
売れない40過ぎの役者に手を貸したい
――主人公の大沢たかおさんは「監督が現場の空気をポジティブにしてくれるので、ハードなんだけど、毎日行きたくなる現場だった」と述懐していました。ほかでも、三池監督と一緒に仕事をした役者さんに話を聞くたびに、「現場が面白かった」というコメントをよく聞きます。現場のムード作りで心掛けていることはあるんですか?
僕は現場がすべてなんです。たとえば、みんなからエキストラと思われるような、まったく世間で知られていない、それでもずっと役者をやり続けてきた40過ぎの中年男性が守衛さんとしてキャスティングされていたとしますよね。そういう売れない役者さんは、そもそも映画の中では、主役のために存在することを強いられてしまう。その構造自体がちょっとムカつくとこがあるんです。
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