若き「独立時計師」のクレイジーすぎる挑戦 1800万円の腕時計も通過点に過ぎない

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「鶴の動きと鐘の音が、あまり良くないんです。鶴は、もっとピシッと戻らなきゃいけないし、鐘の音は、ケースから出すとすごくいい音がするのに、ケースに入れたら曇った音になってしまった。どちらも設計段階からの問題で、気になるところをイチから直す時間も余裕もなかったのですが、手元にあるものをそのまま売ろうとは思えませんでした」

前年の売り上げは、すでに設備投資と生活費で消えていた。それでも、納得いかないものは売らないという思いは決して揺らがなかった。その決意は悲壮感漂うものではなく、「貧乏だからって命までは取られないし」と思っていたというのが、鷹揚な菊野らしい。

それが強がりではないのは、まさに貯金が尽きようとしていたその年に、長く付き合ってきた女性と結婚していることからもわかる。

「結婚した時、俺、貯金ないよと伝えました。あまり深刻に考えてなかったんですよね。なんとかなるでしょうって。結婚してからは、奥さんの貯金を切り崩して生活していた時期もありました。ただ良い時計、面白い時計が作りたいとい僕の気持ちを理解して、支えてくれるところが本当にありがたいですね」

約150万円の新作時計を7本売る

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文字盤には江戸時代に生まれた技法を用いた木目金を使用している(提供:菊野昌宏)

2013年の1年、切り詰めた生活を送りながら、菊野は新しい時計を作っていた。

それが、「MOKUME」である。この時計は、「もっと買いやすい値段のモノを作ってほしい」という時計愛好家の声に応えたもので、文字盤には江戸時代に生まれた技法を用いた木目金を使用しているが、それまでの菊野の作品の中では最もシンプルな作りとなっている。

1本150万円前後と、一般人でもなんとか手の届く価格に抑えたこの時計が、菊野に注目していた時計愛好家の心を動かした。7本、売れたのである。

「資金が底を尽きかけていた」という菊野にとって、この売り上げは大きなものだった。だからといって、売れるラインを攻めようとはしないのが、また菊野である。

手にした資金を元手に開発に着手したのが、前編の冒頭に記した「和時計・改」。これは、最初に作った「和時計」をベースにしたものだが、新たに考案した自動割駒機構を搭載した。ネット上で見つけた論文をもとにした和時計と比べて、マジックハンドの動きを取り入れた「和時計・改」は、完全なオリジナルだ。

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