会期中の8日間を現地で過ごした菊野は、時計作りのマイスターたちから刺激を受けて、腹をくくったのだろう。それから1年後、生活の糧だった学校の講師を辞めて独立する。当時の心境を訪ねると、菊野は「あまり深く考えていませんでした」と笑った。
「不安だらけでしたね。おカネがなかったので、それがいちばんの不安要素で。でも、深く考えていたら辞めてない。ある意味バカだからできることでしょう。とにかくワクワクする時計を作ろうということで辞めました」
時計の神様がいるとしたら、この無謀な若者の決断を歓迎したのかもしれない。講師を辞めて間もなくして、初めて時計が売れた。
菊野の手元から巣立っていったのは、2011年に製作し、2012年のバーゼルワールドで発表した「トゥールビヨン 2012」、価格は800万円。トゥールビヨンとは、機械式時計の三大複雑機構のひとつ、時計が狂わないための精密な機構のことを指し、手作業で作ることができる職人は世界でも限られる。
菊野が自身のホームページで「この時計は、私の人生の一部に等しい」と評する「トゥールビヨン 2012」は、時計ディーラーを介して「買いたい」と連絡してきた、時計愛好家の日本人の手に渡った。時計を手渡した時、嬉しさよりも安堵が勝ったという。
「初めて認められた気がしました。いくらすごいすごいと言われても、時計が売れなかったら生きていけませんから」
独立直後に800万円の時計が売れたのだから、上々の船出といえるだろう。この後、菊野は順風満帆に……とはいかなかった。
順風満帆とはいかなかった理由とは?
800万円の売り上げで設備を整え、2012年から1年3カ月をかけて完成させたのが、「ORIZURU」。これは、三大複雑機構のひとつ、現在時刻を鐘の音の数で知らせるアワーリピーター機構を搭載し、折り鶴の形の「オートマタ」(機械人形)と連動させた独創的なフォルムの腕時計である。右上のボタンを押すと折り鶴が回転し、内臓のハンマーが鐘を叩く回数で時刻を表現する。272点の部品、そのほとんどを手作りした。
菊野は、持てる技術の粋を結集したようなこの時計を2013年のバーゼルワールドで発表。独立時計師協会でも高く評価され、全会一致で正会員に認められた。日本人初の独立時計師が誕生した瞬間だった。
この快挙は日本でも報じられたので、菊野は一躍時の人になった。しかし、である。菊野はこの時計をお蔵入りにしてしまったのだ。
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