マザーハウスは"外れ値"からパリを目指す ファッションには世界を動かす力がある

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マザーハウスの山口絵理子社長(右)と山崎大祐副社長は慶応大学の同じゼミで学んだ先輩・後輩の関係(山崎氏が先輩)だ(撮影:今井康一)
「マザーハウス」代表、山口絵理子。バングラデシュの天然素材ジュート(黄麻)やレザーを使ったバッグを中心にアパレル事業を展開する女性起業家、あるいは“社会起業家”として有名だ。しかし、その道のりは決して平坦なものではなかった。バングラデシュで待っていた過酷な日々とは?
前編「なぜマザーハウスはジュエリーを始めたのか

 

使命感に燃えてバングラデシュの大学に入学した山口絵理子を待っていたのは、孤独な日々だった。

山口は、この大学院で初めての外国人留学生で、ほかは講師も生徒も全員バングラデシュ人。入学前は英語で授業をすると聞いていたが、いざ学校に通ってみると、当たり前のようにベンガル語で授業が進められていた。
クラスメートは、ほとんどがNGOで働いているエリートの社会人で、「国際援助万歳!」という感覚の人たちだった。山口と気が合わないという以前に、ベンガル語を話せない外国人は、友達の輪に入れてもらえなかった。

とにかく、ベンガル語を学ぼうと日本大使館に教わった語学学校を訪ねたら、授業料が高すぎて断念せざるをえなかった。

仕方なく、道端のお茶屋さんで10タカ(20円弱)のお茶を飲みながら、お店の人に話しかけてベンガル語を学んだ。

山口は当時を「最初は、いじめられっ子時代のコンプレックスがぶり返してしまって、つらかったですね」と振り返る。

おまけに、どこに行っても賄賂を要求されて、断ると罵られ、バングラデシュでの生活に辟易していた。

バングラデシュのポテンシャルに懸ける

それでも逃げ出さなかったのは、いじめを乗り越え、柔道で鍛え抜かれた負けず嫌いの性格があったからだろう。山口は小学生のときと同じように少しずつ自分の居場所を作り、広げていった。そうするうちに、徐々にバングラデシュの人々の本音に触れるようになり、ポテンシャルを感じるようになった。

「客観的に見て、この国は酷いなと思っていました。汚いし、臭いし、汚職度もいちばんで、誇るところがない。でも心のタフネス、生きる力は尊敬できる人たちばかりなんですよ。他人と比較してどうこうではなく、ひとりの人間として逞しく生き残っていくぞ、という強さを教わりました。洪水で学校が休校になると思っていても、彼らは足にビニールを巻いて学校に行くし、先生たちも来る。休校なんて一切なくて、テロでもなんでも学校はある。クラスメートに、親戚中のおカネを集めて学校に来てるいんだから、と言われたとき、すごいなと思いました。彼らのハングリーさは、今の日本にはないものだと思います」

この感覚が、山口の意識を変える。

当時のバングラデシュは、国自体が「外れ値」だった。しかし、そこに生きている人たちは、やる気と可能性に満ちていた。

一方で、莫大な国際援助や寄付が必ずしも狙いどおりの効果を発揮しておらず、国の発展に寄与していない、本当に必要な人の手には届いていないというもどかしさも感じていた。

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