加えて、協調性偏重の教育も見直した方がいいだろう。私も子供の頃は先生から「静かにしなさい!」「他の話してない人に譲りなさい!」と10年以上言われ続けてすっかり協調性の塊みたいな人格になってしまったわけだが、これが海外に出ると苦労する原因になっている。
実際のところ、成熟した人格を示そうと相手に発言する機会を積極的に譲ると、単に話すことがないか内気で静かな人だと思われるだけである。われ先に先を争って話さなければ、「あなたの意見は?」などと聞いてくれる人はほぼいない。「こっちが嫌がってることくらい、言わんでもくみ取ってくれるやろう、そっちのほうがお互い角立たへんし」という態度は、時に深刻な誤解につながる。
文化的前提・文脈の違いを意識せよ
われわれアジア人は中国、韓国、日本すべてが国際環境の中ではいわゆる“高い文化的文脈”と言われるカルチャーであり、文脈から行間を読む文化なので世界的には“はっきりと物事を断らない”で有名である。
これに対し欧米ははっきりと意思を表明する文化で、特に南米は交渉の中で“No”と発言する回数が世界で断トツに多いのは、多くの調査で報告されている。
中国人ははっきりモノを言うし日本人より全然アグレッシブじゃないか、と日本のコンテクストでは思われがちだ。確かに胡錦濤前国家主席のメディアでの発言内容などを読み込むと、まったく当たりさわりのないことばかり話していて恐ろしく退屈なことが多い。発言の真意は、発言が出された背景や文脈から推し量るのがアジア文化圏のあうんの呼吸だが、国際的な環境だとそうはいかない。
その昔、欧米人の上司と来日して日本の機関投資家と会議する中で、先方に「検討します」「持ち帰らせてもらいます」「努力はしてみます」と言われたのを翻訳すると、私の感覚だと100%断られたと見なすことでも、文面どおりに受け取って盛り上がり、さらに売り込みをかけようとして戸惑った経験がある。相手としては婉曲に断ったのにまだ提案してくるのか、と困惑するし、私としては無駄な努力が続くのでやめてほしいのだが、文化的文脈に依拠するニュアンスというのはなかなか説明しづらいのだ。
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