猪子:みんなよく言うじゃん。「アナログからデジタルへ」とか、「アナログの時代はよかった」とか、「デジタルは冷たい」とか。
デジタルって何かをまったくわかってなくて使ってるんだよね。じゃあ、デジタルって何かっていうと、「情報が物質を介在せず、単独として存在できる」ということなんだよ。
田中:物質を介在せず、ですか?
猪子:うん。情報化社会の前は、情報は物質を媒体としてたんだよ。たとえば油絵ってあるよね。人間にとって油絵は単なる情報でしかないんだけど、情報は情報として存在できなかったから、油絵の具っていう物質を媒体として存在してたわけ。
もっとすげーわかりやすく言うと、音楽データ。レコードはアナログじゃん?
田中:はい。
猪子:音楽って、ただの情報でしかないんだけど、情報として単独で存在できなかったから、しょうがなくレコードにして存在してたんだよね。でも、デジタルになった瞬間、情報を単独として存在できるようになったじゃん。物質を媒介せず。
田中:はい、はい、はい。
産業区分がなくなっていく
猪子:情報の固まりが単独として存在できる。で、すべての領域においてそうなるんだよ。たとえば店っていうのは物質の固まりでしょ? それがECサイトという単なる情報の固まりとして存在できるようになった。それがデジタルっていうこと。
だけど、みんなテクノロジーとかデザインとかアートを切り分けてたんだよね。全部、もともとは情報でしかないんだけど、最終的にいろいろな物質が媒介して存在するから、なんかジャンルみたいなものが出来上がっていたんだよ。でも、情報を単独として存在できるようになると、ジャンルの境界線がなくなってしまう。
テクノロジー、たとえば車のエンジンって物質として存在してたけど、みんなグーグルのサーチエンジンも「エンジン」って言うじゃん。でも、エンジンっていう物質は存在しない。情報の固まりでしかないよね。
じゃあ、「iPhoneのデザインがよくなった」とかって言うけど、それはほとんどインターフェースの話で、それも情報の固まりでしかない。
アートだって、たとえばウチが作っているアートみたいなものも情報の固まりでしかない。そうなってくると、もう境界線がなくなって……。まあ、そんな話はいいか。
現象だけ言うと、デジタル社会、情報化社会が来て、すべての領域は産業区分がなくなって、デジタルテクノロジーの固まりみたいなものになっていく。もしくはすっごい保守的に言って、デジタルテクノロジーと切っても切り離せない領域になっていくと思うんだよね。
たとえばECの靴屋さんって、テクノロジーの固まりみたいなものでしょ?
田中:介在はそうですね。届くモノは結構、アナログ的なモノですけど。いわゆる「靴」なんで。
猪子:でも、ビジネスの本質はデジタルテクノロジーの固まりみたいなものでしょ? 小売業はもともとテクノロジーと無関係なビジネスなんだよ。土地買って、建物建てて、人を雇って、売らせるんでしょ? それがデジタルテクノロジーの固まりみたいなECと競合するようになるんだよね。アマゾンとかと。
広告業界だって、電通はテクノロジーとまったく無関係だったじゃん。でも、ふと気づいたら世界でいちばん広告を扱っているのはグーグルになってて、それはもうテクノロジーの固まりみたいなものだよね。
つまり、これまでは産業区分みたいなものがあったんだけど、それがほとんど無意味化して、デジタルテクノロジーの固まりみたいになる、もしくは切っても切り離せない関係になっていく。すでにすごい勢いでそっちにシフトしているよね。
田中:そうですね。
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