舛添都知事の「言い訳」が何ともマズい理由 法的に問題なくても都民の感情は納得しない
東京都の舛添要一知事が海外出張に多額の費用をかけていたほか、公用車で頻繁に神奈川県湯河原町の別荘へ行き来していた問題が明らかとなり、議論を呼んでいる。というより、舛添都知事の会見が「開き直り」と「言い訳」に聞こえてしまい、世間的に批判の的、バッシングの対象になっているといったほうが正しいだろう。
このような問題は一般的な企業でも起こりうる。たとえば社長や役員クラスの出張がビジネスクラスやファーストクラスである一方、平社員はエコノミークラスを使わなければならなかったり、役員には社用車があるのに平社員は電車やバスなどの公共交通機関しか使えなかったり、などという構図と似た部分もあるからだ。
一般企業でも起こりうる問題
戦略的PRコンサルタントである筆者の下にも舛添都知事の問題に関連して、「弊社でこのようなことが起こったらどう対応すればいいか」という相談がいくつか来ている。筆者は「起こらない、起こさないのがいちばん」と答えているが、そうはいっても何が火種になるかわからない。ではどうすればいいだろうか。
今回の問題を整理整頓すると、大きく5つに分けられる。
多分、論点のメインは、「ぜいたくだ」「税金を使うのはおかしい」という感情論であろう。「知事のこうあるべき」と「庶民の、知事はこうあるべき」という「べき」にずれがあるのだ。「べき」のズレが怒りの感情になることは、日本アンガーマネージメント協会の安藤俊介代表理事が指摘している。
一般企業の会議を例に挙げよう。「10分前には席に着いているべき」という人と、「1分前でもいい」と思っている人には、「べき」の差が9分もある。当然、前者は後者に怒りを覚えるはずだ。
「都知事はこうある”べき”」という「べき」が人々の中にあった。舛添都知事はそれとのズレがあったことに、気が付かなかったし、ズレがあったから問題が大きくなったのだ。舛添都知事が問題についてのジャッジをするのではなく、都民の感情に合わせて対応できていたら今回の問題はここまで大きくはならなかったと思う。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら