菅:いま私は、例えば月1回迎賓館などで大きなイベントや講演会を行うとか、「世界に発信できることを考えるように」と指示しています。
有馬:では、後半は菅さんの重要なご担当でもある「沖縄問題」について話を伺います。国民の側からすると、今まで、国と沖縄県は、米軍の普天間飛行場(宜野湾市)の名護市・辺野古移設について、いわば訴訟合戦を繰り広げていたように見えます。それが3月4日になって、国は移設をめぐる代執行訴訟で、福岡高裁那覇支部による沖縄県との和解勧告を受け入れました。
沖縄問題は、必ず解決する
菅:とてもいい機会ですので、普天間飛行場の辺野古移設をめぐる問題について、これまでの経緯を話させてください。この問題の原点は、市街地に位置し、住宅や学校に囲まれ、世界で一番危険とも言われている普天間飛行場の危険除去です。20年前沖縄の方々の強い要請を受けて、橋本首相とモンデール駐日大使(いずれも当時)が普天間飛行場の移設と返還に合意しました。その3年後に移設先について、沖縄県知事と地元の名護市長が同意し、閣議決定をして、名護市・辺野古周辺とすることに決まったのです。
また、翁長雄志・現沖縄知事は1997年から自民党・沖縄県連の幹事長でいらっしゃったんです。「普天間飛行場の危険を除去するために、早く県内移設をすべきだ」ということも、当時、県議会の本会議場でおっしゃっています。
その後、紆余曲折を経たのち、2006年には、「2014年までに、辺野古に、V字型の2本の滑走路を有する代替施設を完成させる」と決まった。しかし、民主党政権になって、鳩山由紀夫首相(同)が普天間飛行場の移設先を「最低でも県外」と発言して混乱をさせたんです。「政権与党が言うのだったらそうなるだろう」と沖縄県民は思ったのです。
だが、抑止力を考えて学べば学ぶほど「辺野古しかない」と、すぐに方針を変えて退陣されました。その後、2012年に自民党が政権に復帰しました。我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中、日米同盟の抑止力の維持と普天間飛行場の危険除去、固定化を避けるということを考え合わせたとき、辺野古移設が唯一の解決策。これは、日米当局の共通認識であり、安倍政権となってようやく、2013年末には仲井眞弘多知事(同、在職2006年12月10日から2014年12月9日)から、辺野古移設に必要な埋め立ての承認をいただいた。
しかしながら、2014年末の選挙で、仲井眞知事に代わり移設反対派の翁長氏が知事となった。翁長知事は、普天間飛行場をめぐる問題の原点は終戦後に強制的に土地が接収されたことであると主張しているが、このような主張は、日米合意以来、沖縄や政府の関係者が重ねてきた努力を無視するものであり、非常に残念です。昨年11月には、仲井眞前知事の行った埋立承認を取り消した。普天間飛行場の危険性をどうするかは、現職の知事としても極めて重要な問題のはず。結果として、国と沖縄県が複数の裁判をし、訴訟合戦をすることになってしまった。
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