社会党への恐れが自民結党のきっかけ
木本:さて、今回は今の与党である自民党についてうかがいます。そもそも自民党ができる前には、どのような政党があったのでしょうか。そこから教えてください。
御厨:戦前からの流れで言いますと、政友会と民政党というものありました。戦時中にこの2つがいったん解散して大政翼賛会になった。戦後、GHQによって多くの政治家が公職追放され、議会は追放されなかった人たちが作っていた。なかでもいちばん強かったのが、吉田茂が率いていた自由党。戦後に当選した官僚出身者を中心とする議員たちがいたのが自由党です。
ところが吉田の政治に飽きてきた頃、戦前の政党の政治家たちが公職追放解除によって政治の場に戻ってくる訳です。面白かったのはそれまで選挙区を守っていた人たちが、持ち場を戦前の実力者に譲ったことです。戦前派のオジサンをどんどん当選させた。そうした政治家達が集まって鳩山一郎を中心に民主党を作りました。その一方、社会主義政党には右派と左派の2つの社会党があって、これが合併すると保守系の2党がやられるかもしれない、つまり社会党が統一して過半数を超えると保守が政権から落ちる危機感があった。
木本:なるほど。それくらい社会党に勢いがあった訳ですね。
御厨:「革新」と言われ、勢いがありました。そこに恐れを抱いた2党が1955年に合併して自由民主党になる。そんな経緯ですから、合併した時に三木武吉という有力政治家が「戦前の政友会と民政党と一緒にしたようなものだから、もって10年だろう」と言ったのです。10年もたせて、そのあいだ社会党が政権を取らなければいいだろうという。
木本:合併しても、決して盤石だったわけじゃないと。
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