御厨:ところが、自民党になったら、岸信介首相の時に強権政治をやった。日米安全保障条約も通すというので、結局最後は国民運動が起こって、最終的に安保法案は通ったけど岸内閣は倒れた。
木本:はい。学生運動の全盛期ですね。
御厨:そう。あのままいけば自民党も危なかったかもしれないけれど、その後の池田勇人政権で変わった。この人は完全に戦後派だった。池田さんは4年4カ月、首相をやった。その後の佐藤栄作が7年8カ月。池田・佐藤あわせて、12年以上やったわけです。
なれ合いの国対政治が始まる
木本:この2人のおかげで自民党は10年で終わるどころではなくなったわけですね。
御厨:そうです。この間に進めたのが悪く言えば妥協の政治です。社会保障については、ある段階で社会党が主張していたものをつまみ食いしていいとこ取りをしていった。当時は高度経済成長の時代だから、パイは拡大していく。拡大していくものを配分していくのだから、社会党の主張を取り入れることもできた。労働運動にまで目くばせをしてそこに配分したので、もう社会党が伸びる余地がない。
木本:なるほど。社会党が影響力を行使できない時代になった。
御厨:となると、社会党だって「野党でいれば政権を取ろうと無理しなくても回っていく」ということになる。そこから、前回お話しした国会の劇場化というところにも繋がっていく。国会対策委員会ができて野党と与党が事前に話し合って、「今国会をどう進めていくのか」を根回しするようになるわけです。
木本:そこからがスタートなのですね。
御厨:「所得倍増」と池田は言ったけど、確かにそれ以上になった。国民にとってはどの党を選ぼうと関係ない。憲法改正も棚上げしたから、「利益配分を上手にやってくれるならばいい」となっていった。
木本:国民もその政治に不満がなかったわけですか。
御厨:お腹を空かしているわけじゃないし、十分足りている。カー、クーラー、カラーテレビという3Cの時代で不平不満がないわけです。それこそ自民党が10年でつぶれなかった理由でしょう。経済成長がなければ内紛でつぶれたかもしれません。
木本:そうか。じゃあ、ひとつの会社として見ると、すごく経営が順調にいっていたということですね。
御厨:そのとおりです。
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