サウジとイラン断交、全面紛争へ発展も 宗教や地政学面で約40年前からくすぶる不信
1988年に、数百人のイラン人がメッカ巡礼中にサウジ警察との衝突で死亡。続いて起こったテヘランの大使館襲撃で外交官が死亡したことから、両国は国交を断絶した。しかしイラクのフセインがクウェートに侵攻すると、互いの敵対関係を棚上げして、共通の敵に対する共同戦線を張った。
2003年のフセイン失脚は地域の力関係を大きく変動させた。イランは国内の大きなシーア派コミュニティとの関係を活用してイラクで影響力を得ようとしたため、サウジと公然と対立することになった。「アラブの春」の暴動の後にイエメンとシリアで繰り返されたパターンだ。
さらなる対立激化も
アナリストによれば、対立はさらにエスカレートする余地がある。
カーネギー国際平和財団の中東プログラム上級アソシエイト、フォー・カリム・サドジャドプアは両国について、「1979年以来、中東で数々の代理的紛争を戦ってきたが直接の紛争には至らず、冷ややかな和解に合意してきた」としながらも、イランが、サウジとバーレーンのシーア派コミュニティとの間の不安を煽ろうとするかもしれないと述べた。
また、サウジは同盟国にイランとの国交断絶を求めるとともに、イスラム協力機構などの団体に大使館襲撃を非難するよう圧力をかけた。シリア反乱軍グループへの支援も強化するかもしれない。
全面的な紛争は、サウジとイランのタカ派でさえ避けようとするだろう。しかし、戦略的計画を先回りする形で、事件が発生することもあり得る。
ニムル師処刑の後、イラン革命防衛隊の軍事エリートは、近い将来に「残虐な報復」がサウジ王家を襲うだろうと語った。
ジッダを拠点とする湾岸研究センターのアブドゥラジズ・アル・サゲル所長はこの予告に関して、「革命防衛隊はイラン政府の一部で、レバノン、シリア、イラク、イエメンで市民兵をコントロールしている。彼らの脅迫は深刻に受け止められるべきだ」と述べている。
(記者: アンガス・マクドウォール 編集: ウィリアム・マクリーン、プラヴィン・チャー)
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