原文はこちら
中東のさまざまな紛争の根源は、20世紀初頭のオスマン帝国解体と、それ以降に同地域での安定した秩序形成に失敗した点にある。国際社会が中東での恒久平和の実現に向けて取り組む中で、賢明な指導者たちは歴史の教訓を思い出すことだろう。
オスマン帝国は、現在のボスニアにあるビハチからイラクのバスラにまで広がっていた。多様な文化や伝統、言語が入りまじり、その頂点に君臨していたのがイスタンブールのスルタン (皇帝) だった。オスマン帝国は非常に安定しており、支配地域には数百年にわたり平和が続いた。しかし、帝国が崩壊し始めると、非常に暴力的な状況になった。
オスマン帝国の支配から脱して民族国家を樹立しようという動きがバルカン半島で始まった。それがきっかけとなり、数十年におよぶ2つの破壊的な戦争が起きた。1つめは20世紀初頭、2つめは1990年代に起きた。
中東紛争の遠因は英仏の綱引き
一方で、外国勢力として新たに生まれた国々が、メソポタミア (現在のイラク周辺) やレバント (東部地中海の沿岸地方) におけるオスマン帝国の勢力図を書き換えていった。フランスと英国が利権を巡って競争し、交渉の末に作られたのがシリアとイラクだった。
ギリシャは、アナトリア西部を征服しようと企てたが、これは無理のある試みだった。結局、これが引き金となって革命が起き現在のトルコが生まれた。そして、1917年に英国がパレスチナにおけるユダヤ人国家の設立を誓約したバルフォア宣言が基となって1948年にイスラエルが建国された。その後、数十年にわたって紛争や交渉が続くことになった。
オスマン帝国時代のモスル州がどの国に属するのかを決めることは、特に難しい問題だった。トルコとイラクの両新政府が領有を主張したからだ。スウェーデンの外交官が委員長を務める国際連盟の委員会は公平な解決を求め同地域を分割したが、適切な境界線は最後まで引けなかった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら