サウジとイラン断交、全面紛争へ発展も 宗教や地政学面で約40年前からくすぶる不信
サウジのジュベイル外相は4日、ロイターに対し、「イランがわれわれの地域を不安定にすることや、イランがわが国と同盟国の市民に危害を加えることを許さない。そのようなことがあれば対抗策を講じる」と語り、サウジが引き下がることはないとのシグナルを送った。
シリアとイエメンにおけるサウジの決断は、イランと世界の大国との核交渉に対抗する策の一部でもあった。交渉によって制裁が解かれると、イランにはより多くの資金と、地域での活動を遂行するための政治的な余地が与えられる。
今回の新たな危機に伴い、サウジと同盟している数カ国も、大使館襲撃の後にイランと断交した。一方でイランは好ましくない影響が出る可能性を警告した。この連鎖反応は、レバノンの政府樹立に関する政治的対話や、闘争中のシリアの政党を対話の席に着かせることなどを、さらに複雑にする可能性がある。
起点は1979年のイラン革命
サウジとイランは1970年代まで、湾岸諸国におけるソ連の影響力を抑制する米国の戦略において「対をなす柱」とされる不安定な同盟国だった。分派主義は抑えられていた。
しかし、イランは1979年の革命後に、シーア派の最高指導者が世俗的にも究極の力を持つとする教義を採用して国外にも発信した。一方、サウジはシーア派の教義は異端だとする解釈を普及させ始めた。
イデオロギーの違いが広まったのに伴い、不信がくすぶることになった。それは地政学的な対立にも沿うものであったため、その後37年間にわたって両国間の関係は悪化を続けてきた。