そんな時、大阪産業振興機構と大阪中小企業家同好会が共催した「3S活動」のセミナーが目に留まります。『良い現場は最高のセールスマン』がテーマの無料の講演会でした。藁にもすがる思いで、弟さんと一緒に出席しました。
「講師の方が紹介した会社の一つが、機械商社時代に雰囲気のいい会社だな、と思っていた取引先でした。自分はこんな会社を作りたい、と考えていたことを思い出しました」
帰りの車の中で「この3Sやらな、うちの工場、つぶれてまうで」と兄弟は決断します。「3S」こそ、業績が低迷している中で、お金をかけずにできる唯一の会社強化策だったのです。
全員参加の「3S運動」が会社を強くする
しかし、ものごとはそんなに簡単に運びません。さっそく翌日から3S活動を始め、手始めに毎朝30分かけて掃除を始めましたが、倒産の危機に直面している従業員にはピンときません。
特に反対したのが創業者で当時社長だった父親の山田英二氏。「朝の30分をおカネにしたらナンボになると思ってんねん!」と叱責されました。
工場には父親が昔から大事にしていた機械がありましたが、使われていないために邪魔です。そこで、留守中にスクラップ屋を呼んで処分をしようとしたことがあります。ところがトラックに積み込み作業をしているところに、父親が突然帰宅。父親は激怒しました。「お前のその性根が気に入らんのじゃ」と怒声が響き、どつき合いの激しい親子喧嘩になったそうです。結局は息子は自分の主張を譲らず、機械は処分されました。
こんな山田さんの必死の姿に引っ張られて、徐々に整理・整頓が進行していきます。工具類は定位置に配置され、全てのものは「生品」(直ぐに必要)、「休品」(5日以内に必要)、「長休品」(6カ月以内に必要)、「死品」(6カ月以上使わず)と4つに整理。「死品」は例外なく処分されるようになりました。
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