――世界各国で上映されてきたと思いますが、ご覧になった方の感想はどうでした?
もちろんいろんなリアクションがあった。カンヌ国際映画祭に参加したときも、僕はこんなにも人を泣かすことができるのかというくらいに、みんな赤い目になって泣きはらしてくれた。またあるときは年をとった方が、上映後に私のところにやって来て、泣きながらハグをして「子どもの頃に戻れたよ。自分の中の子どもを見つけることができたんだ」というような言葉をかけてくれた。ブラジルでは年配の方がやってきて。「実は1カ月前に娘を亡くしたんだけど、この1カ月は泣けなかった。でもこの映画を見たら思い切り泣けた」と言ってくれた。これには本当に感動した。
こんな名作の監督、最初は不可能と断った
――オズボーン監督は、最初に本作のオファーがあったときに「不可能だ!」と言って断ったと聞きました。それでもやろうと思ったのは?
確かに最初は不可能だと思ったのでノーと言っていた。しかし返事をした後もずっと心に引っかかっていた。こんなにも大きなチャンスはもうないだろうと。これほどの有名な本だし、僕自身も非常に影響を受けた。だからこそ、どうやったら原作を守ったままで新しいストーリーを考えることができるか。そういったところから、原作のまわりに別のストーリーを包み込むスタイルを考えついた。
ただ、構造は思いついても、どうやって語ればいいのかは非常に難しかった。心が折れている人が特別な人に出会って、その後に喪失感を抱く。それが、原作が持っている大きな力だと思うが、原作において飛行士と王子さまが出会うのと同じような関係性を、少女と飛行士が出会う物語で包み込んだらどうだろうと思った。
――本作のオファーを受けたのが2009年。脚本の初稿が完成したのが2010年10月。そして完成までに5年以上の歳月を必要としたと聞きました。長期プロジェクトを成し遂げるにあたり、モチベーションや情熱をどう維持させたのでしょうか?
それは非常に困難なことだった。でもやはり原作があるからこそみんなが集まったともいえる。もともとみんなが原作を映像化するということに並々ならぬ情熱を持っていたはずだし、だからこそどんな困難にぶち当たっても、原作へのリスペクトが情熱をキープさせる原動力となった。本に対する情熱、愛情、そして守りたいんだという気持ち、それがわれわれのパワーの源だった。
――たとえばトラブルが起こった時に、心が折れそうになったことは?
いろんな契約や約束があったので、当然のことながらギブアップはできなかった(笑)。でも時にはうまくいかないことばかりで、映画がポシャってしまうんじゃないかというくらい大変なことも多かった。ストーリーとしても制作手法にしても、非常に挑戦的なことをやっていたので、これは本当に完成できるのだろうか、といったプレッシャーも感じていた。原作のその後のストーリーということで、非常に野心的なアイデアだし、絶対にいけるぞという感覚もあったが、それと同時に不安も感じていた。でも、「すべて困難に思えるものは、それが終わるときまで不可能に思ってしまうものだ」という言葉があって。どんなに不可能だと思えることであっても、終わらないものはないと信じてやり続けた。
――完成した今は、そんなプレッシャーから解放されてスッキリしているのでは?
完成したことに関しては安堵感を感じているけど、今は新しい恐怖を感じている。観客がどう思うのか、僕に怒る人がいるんじゃないか、とか。そもそも映像化作品というものは、すべての人が気に入るということは絶対にありえない。特にこの作品は特別な作品なので、大胆なことをやりたかった。自分の思うとおりにやってトラブルになるほうが、地味に控えめにして怒られるよりもはるかにいい。原作の持つパワーが独創的でユニークなものなので、映画も同じような手触りの作品にしたいと思っていた。5年以上にわたって、これをよりよくしよう、よりいいアイデアはないかと毎日考えていた。だから今はいいアイデアを思いついても、そのアイデアが使えないというのはちょっとつらい気持ちもある。
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