日・タイハーフの看板娘、吉祥寺ハモニカ横丁の食堂で客を勇気づけた「ポジティブノート」とは?

✎ 1〜 ✎ 7 ✎ 8 ✎ 9 ✎ 10
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

転機が訪れたのは高校2年生のときだ。父が退職し、両親が知人のタイ人コックとレストランを始めたのだ。店を開く場所をあちこち見て回り、活気のある吉祥寺の中でも人気のハモニカ横丁に空き物件を見つけた。しかし駅に近く繁華街の真ん中で、高い家賃に父は尻込みした。

「でも、絶対にいい場所だって思ったお母さんが契約書にサインしたんです」

開店は2010年。タイ料理と、当時はあまりなかったベトナムのフォーを出す店だった。両親のがんばりのおかげで店は軌道に乗り「そのおかげで大学にも行けた。感謝しています」となっちゃんは話す。

父から店を引き継いで

そして社会人になり、自動車のディーラーで働いていたときのことだ。父が体調を崩してしまう。店の仕事を続けるのは難しい。そんな父を見て、なっちゃんは会社を辞めた。母とともに店を支えようと決めたのだ。

「会社の先輩からはすごく反対されました。自営業はたいへんだよって。でも私は、とりあえずやってみようってワクワクした気持ちのほうが大きかったですね」

しかし、タイミングの悪いことに、直後にコロナ禍となってしまう。ハモニカ横丁にも閑古鳥が鳴いた。だが、それでもなっちゃんはめげなかった。この際だからと長期休業し、店を思いっきり大改装したのだ。今のハデハデで陽気な内装を、少しずつ作りあげていった。

タイ東北部コラート出身のコックが本場の味を提供。辛さは調整してくれる(筆者撮影)

「コロナのときってネガティブなニュースがすごく多かったじゃないですか。だから、来てくれた方が明るくなれるような店にしたかったんです」

タイ人はよく「マイペンライ」と口にする。「大丈夫、なんでもないよ、なんとかなるさ」的なニュアンスで使われる、ポジティブな言葉だ。その考え方を、日本人にも伝えたい。手書きのポップやメニューの説明もいちいち楽しげに感じるように工夫した。

次ページいつしかハモニカ横町の名物に
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事