「岡山朝日は割と生徒たちに志望校を東大と書かせる傾向がありました。実際に、岡山朝日に集まる人は幼少期から勉強してきていて東大を受けることに抵抗がない人が多いのですが、自分はどれだけ学力があっても東大に受からないんじゃないかという感覚がずっとありました。
ですが、東京に出てみたいという思いはずっとあったので、東京圏の大学を受けました。理系で東大の次に難関な東京の大学は、東工大でしたし、理数系も得意だったので、受かる可能性があるかなと思いました。理学院を目指した理由は、大学では何かしら勉強をしたいと思っていて、基礎的な学問が大事だという考え方が自分の中にあったためです」
模試はずっとE判定だったものの、ある程度の自信を持ってのぞんだ現役の受験。東工大はセンター試験の点数が反映されないものの、8割を超える点数を確保し、2次試験にのぞみます。しかし「全く手応えがなかった」という言葉の通り残念ながら最低合格点から30点足りずに不合格。浪人を決断します。
コロナ禍での浪人生活
浪人を決断した理由を田村さんに聞いたところ、「当時の自分の価値観が学歴に寄っていて、学歴に価値があると思っていた」と語ってくれました。
浪人を決断した田村さんは、岡山朝日高等学校の補習科で勉強をすることを決めます。
コロナ禍に入ったタイミングで浪人生活に突入したこともあり、最初の方は「4月からは家から出てはいけない状態で、オンライン授業も整備がされていなくて1カ月くらい授業がない期間があった」といいます。
しかし、なんとか授業が行われるようになった5月頃からは高校時代の延長であったそうです。
「生活は現役のときとそんなに変わりませんでした。現役と同じように1〜6限まであって、高校と同じリズムで通学することができました」
そのような状況で成績は大幅に上昇。岡山朝日高等学校の補習科は、校内のテストで3年生と補習科全体の順位が出されるそうですが、浪人のアドバンテージもあり、最初のテストは10~20位とかなり好成績でした。



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら