『国宝』と比較される『宝島』だが…ストーリーは難解、それでも沖縄県民の私の心が震えた訳「空前規模の"あのシーン"解像度の高さ」に驚き

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近現代の琉球・沖縄は、支配者層が次々変わってきた。それを象徴する沖縄民謡がある。嘉手苅林昌の『時代の流れ』だ。歌い出しは「唐の世から大和の世 大和の世からアメリカ世」である。

琉球の時代は独立国でもあったが、唐との朝貢関係であったし、その後の琉球処分で沖縄県として日本に編入、そして戦後の米軍統治とつながっていく。他府県の人々からはなかなか想像がしづらいかもしれないが、沖縄の歴史を見ると、こういうことが“簡単に”起こる。

ちなみに、余談ではあるが「唐の世から大和の世 大和の世からアメリカ世」の歌詞は沖縄のミュージシャンにサンプリングされる形でたびたび引用されてきた。そのうちの一曲『オーバーフェンス』を歌うインディーズバンド・ちゅうざんBANDのボーカルで俳優の中山琉貴は本作にも少し出演している。史実でもあるコザ暴動を取り上げたシーンで、群衆を鎮圧しようとする米軍に対して「Shoot me!(撃ってみろ!)」と叫んでいるのが彼だ。

コザ暴動シーンの描き方に感じた制作側の解像度の高さ

というように、沖縄の人のアイデンティティというのは非常にデリケートというか、個人個人で「沖縄:日本」の比率にグラデーションがあるように感じる。2023年の調査では「自分は沖縄人(宮古人や八重山人も含む)」が26%で、「自分は日本人」が16%、「沖縄人であり日本人」が58%となった。

ちなみに私の感覚では、沖縄本島生まれながら、祖父母が宮古島出身ということもあり「沖縄:宮古:日本=5:2:3」のような感覚だ。(ちなみに「お前は日本人じゃないのか!」と気分を害した人がいるなら、そう思わないでほしい。こればっかりはしょうがないし、サッカーW杯で日本が点を決めたらちゃんと全力で嬉しい)

前置きが長くなったが、何が言いたいのかというと、映画『宝島』ではそのあたりの機微もしっかり描いてくれていると感じている。前述のコザ暴動シーンでは、暴動でありながら“沖縄の人間としてプライドを守ったお祝い”のような雰囲気の描写があった。米軍車両をひっくり返す男たちを横目に、カチャーシー(沖縄の手踊り)をしたり、三線を弾いたり、指笛を吹いたりしている人の姿だ。

そう、これはお祝いなのだ。

劇中でも描かれていたように、当時は殺人事件が起こっても被疑者が米軍関係者ならば沖縄側には逮捕権も裁判権も無かったという背景があった。その状況下で米軍関係者による事件が多発していた。そこで耐えて耐えて耐え忍んでのこれである。初めての反抗をした、というお祝いだったのだろう。暴動なので全肯定はできないし?さすがに米軍側にも住民側にもけが人は出たものの、死者や略奪が無かったのが幸いでもあるし、そういう意味では「理性ある暴動」とも言える。

宝島
この物語を象徴するようなコザ暴動のシーンはポスターのビジュアルにもなっている(画像:映画『宝島』公式Xより)
宝島
現在の沖縄市コザ地区の様子(筆者撮影)
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