
「沖縄県民は『決定権なき決定者』である」
沖縄が名護市辺野古の新基地建設について置かれた状態を、社会学者の熊本博之氏が長年のフィールドワークに基づいて提示したこの言葉は、沖縄の人々が置かれて続けている異常な状態の本質を捉えている。
失われつつある「還ってきた海」
那覇空港からリゾートホテルが立ち並ぶ宜野湾市や北谷町を目指して海沿いを北上すると、左側に鮮やかなコバルトブルーの海が目に飛び込んでくる。浦添市の西海岸にはサンゴ礁に囲まれた幅約3キロにも及ぶ広大な浅瀬(沖縄の言葉でイノーと呼ばれる)がある。
開発を免れて奇跡的に残ったイノーには、休日ともなれば親子連れや観光客が訪れ、子どもたちが小魚やヤドカリを追いかける姿も見られる。少年たちが自転車でやってきて、海に沈む夕日を眺めながら時間を過ごす場所でもある。しかし昨年、その海に櫓が立った。

この海は、「極東一の総合補給基地」とも呼ばれる米軍のキャンプ・キンザー(牧港補給地区)に面していたため、かつて地元の人々が立ち入ることはできなかった。だが、2008年に一部が返還され、2018年に臨港道路浦添線が開通し、ようやく近づくことができるようになった。
そして、大型の商業施設がオープンしたことで多くの人が訪れるようになり、地元では「てぃだ結の浜」という愛称、または「パルコ前」の海として親しまれている。那覇近郊で自然に近い海が残されている唯一の場所だ。まさに「還ってきた海」と言える。
しかし、その還ってきた海が、今再び失われようとしている。那覇軍港を返還する代替としてこの海を埋め立て、軍港と新たなリゾート地を開発する計画が進んでいるのだ。海に立った櫓は、埋め立てに向けたボーリング(掘削)調査のためのものだ。
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