『国宝』と比較される『宝島』だが…ストーリーは難解、それでも沖縄県民の私の心が震えた訳「空前規模の"あのシーン"解像度の高さ」に驚き

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若い男女が浜に集って酒を飲んだり歌い踊ったりするかつての習慣・毛遊び(もうあしび)、天寿をまっとうした人の旅立ちはむしろお祝いだとするお通夜の雰囲気、市場で売られる伝統お菓子のアガラサーやウムクジ天ぷら、復帰運動のテーマ曲的存在「沖縄を返せ」など、こんなに細かく着眼して描いていることに、本気度と愛情すら感じられる。

宝島
幼なじみのレイ、ヤマコ、グスクが浜辺で談笑する様子(画像:映画『宝島』公式Xより)

大げさかもしれないが、この“本気度と愛情”は、観客の側にも感じている。映画自体の理解は、沖縄の人間にとっても難しいのに、沖縄の歴史や言葉についての予備知識がない本土の人はもっと難しかったはずだ。それでも一生懸命理解しようとしながら190分間も向き合ってくれていることに、思いを馳せてしまう。

“支配者”が変わり続けた島の記憶

忘れずに言及したいのだが、本土から切り離されたのは、沖縄だけではない。小笠原諸島と奄美群島も同様だったが、統治の規模や長さ、米軍との接点の点で特筆されるのが沖縄だった。

今となっては信じられない人もいるかもしれないが(そして当時私は生まれてもいないが)、1945年-1972年の沖縄は「ドルを使い、本土に行くのにパスポートが必要」だった。問題の本質はそんな表面的なことではなく、なにしろ「本土から切り離される形で、日本の憲法もアメリカの憲法も何も適用されていなかった」のだ。

本土から切り離された戦後の沖縄では、米軍基地から奪った物資を住民らに分け与える“戦果アギヤー”と呼ばれる若者たちがいた(画像:映画『宝島』公式サイトより)

そんな「米軍統治下の沖縄」を描いたうえで、特に印象的だったシーンがあった。1963年の、沖縄の本土復帰を求める住民の総決起集会のシーンだ。広瀬すず演じる小学校教師のヤマコは切実に日本本土復帰を目指して積極的に活動を行う。米軍相手のバーの女性従業員チバナ(瀧内公美演)は「ヤマコ、ごめんなさいねぇ」と小さく声をかける。その場にいたヤクザのレイ(窪田正孝演)は「本土復帰がそんなに良いかね」と距離を取る。これがまさに、当時の沖縄の縮図のように見えるのだ。

言い換えるならば

①ヤマコ=シンプルに日本(祖国)に復帰したい人
②チバナ=日本本土復帰を望んではいるものの、米軍相手の商売をしている以上葛藤がある人
③レイ=沖縄は沖縄だと、日本もアメリカも“外からの統治者”だと見る人-の3者だ。

さて。ここでおそらく皆さんが意外に思うのが③レイの存在だろう。「日本?統治者?ん?」となると思う。

宝島
窪田正孝演じるレイ。ヤクザになったレイは特殊飲食店街の仕切りを任されている(画像:映画『宝島』公式サイトより)
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