「紀伊・和泉28万石を領有」も秀吉の直臣には手出しができず…羽柴秀長の【意外に窮屈】な領国支配
領国内の国衆に認められた「守護不入」の特権
秀長は、天正13年(1585)4月28日に、紀伊・和泉を領国として与えられたことをうけて、紀伊有田郡の国衆で秀吉に服属していた白樫左衛門尉に、秀吉の意向をうけて4カ条の覚書を与えている。
内容は、①紀伊南部侵攻について褒美を与えること、②雑賀のうち岡口(和歌山市)を調略したら同地を与えること、③先に与えた所領についてはすべて「守護不入」の特権を認めること、④紀伊の支配者が誰になったとしても、白樫の立場は秀吉の直臣であること、というものであり、秀長は、それらの内容を、秀吉の「仰せ」をうけて、覚書として与えている。
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