「その頃はまだ日本語がうまく書けなかったので……。日本語の能力が足りないと断られてばかりでした」
それでもベトナム人の先輩の紹介でどうにかレストランのホールのアルバイトにありついた。それとホテルの布団敷きだ。旅館でもよくあるが、館内の別の場所でお客が夕食をとっている間に、部屋に布団が敷かれているアレだ。こういう仕事もいまや外国人頼みなんである。
「布団を出してカバーをかけて整えて、掛け布団と枕をセットして、それで1組たしか70円でしたね」
なんという薄給……と思ったが「がんばれば1時間で2000円くらいは稼げるんですよ」という。
やがてヒウさんは『艦これ』の沼にハマりつつ日本語を上達させ、寮を出て別府の街に引っ越した。APUのベトナム人、日本人と古い一軒家を貸し切ってのシェアライフだ。
「温泉が出る共同浴場がついていたんですよ。それに、山のほうにあって、海が見渡せるんです。あれがすごくいい景色で、これが日本の生活なんだなって」
コンビニバイトのお客さんとの温かな思い出
そしてアルバイトは語学力がある程度ついてきた外国人の例に漏れずコンビニへ。
「お客さんの中に常連のおじいさんがいたんです。すごく親切で優しくて、コーヒーをおごってくれたりして」
ご自宅に誘われたこともあった。老夫婦ふたりにお腹いっぱい日本食をごちそうになった。
「亡くなった息子さんが、私によく似ていたそうなんです」
ヒウさんの心に、深く刻まれた思い出になった。
後編『履歴書は手書き必須、最終面接で全落ち…在日11年ベトナム人男性が体験した就活地獄と≪日本の仕事≫のリアル』では、ヒウさんが経験した壮絶な就活や転職した経緯などを紹介する。

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