何かと「文武」の重要性を主張する政信が「ぶんぶん」と羽音がうるさい蚊のように、うっとおしいというわけだ。この狂歌を松浦静山は『甲子夜話』で「大田直次郎といへる御徒士の口ずさみける歌」として紹介している。「大田直次郎」は大田南畝の通称である。
これは私の作品ではない偽作である
だが、当の南畝は『一話一言』にて、この「世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし ぶんぶというて 夜もねられず 」のほか2作を挙げながら、次のように述べて、自身の作品であることを否定している。
「これは私の作品ではない偽作である(是大田ノ戯歌ニアラズ、偽作也)」
その後、南畝は狂歌界と絶縁。文芸活動を停止している。
南畝がいち早くフェイドアウトしたのは、勘定組頭の土山宗次郎が公金を横領した罪で斬首されたことがきっかけだったようだ。土山は田沼意次の腹心だったため、見せしめの意味合いもあったのだろう。また、土山の罪状は横領だけではなかった。『寛政重修諸家譜』に土山の罪状について「行状よろしからず、遊女を妾とし」とあるように、日頃の言動がよくなく、遊女の誰袖を妾としたことも問題視している。
南畝は、土山から経済的な援助を受けており、かつ、南畝自身も妻子がいながら、松葉屋の下級遊女、美保崎を妾としていた。「自分にも処分がおよぶのではないか」と震えたことだろう。
処罰される前に先手を打って、狂歌会から距離を置いた南畝。その後は幕臣としての勤務に励みながら「蜀山人」の号で狂歌を再び詠むも、狂歌会とはかかわりを持っていない。
ほかの戯作者たちに先立ってシフトチェンジしたことで、処罰を免れたこともまた、南畝のセンスといえそうだ。
【参考文献】
沓掛良彦著『大田南畝』(ミネルヴァ日本評伝選)
浜田義一郎『大田南畝』(吉川弘文館)
松木寛『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』(講談社学術文庫)
鈴木俊幸『蔦屋重三郎』 (平凡社新書)
鈴木俊幸監修『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(平凡社)
倉本初夫『探訪・蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人』(れんが書房新社)
小沢詠美子監修、小林明「蔦重が育てた「文人墨客」たち」(『歴史人』ABCアーク 2023年12月号)
山本ゆかり監修「蔦屋重三郎と35人の文化人 喜多川歌麿」(『歴史人』ABCアーク 2025年2月号)
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