《新谷良子さん、水樹奈々さんの楽曲を制作》「数学0点」「不登校気味」だった彼が3浪を経て作曲家として活躍できているワケ

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その結果、3年次終了時にはほぼ全単位を取得し順調に卒業することができました。

2000年に大学を卒業した松井さんは、就職氷河期の真っただ中に直面します。就職そのものをほぼ諦め、アルバイトを続けていたある日、IT系の求人雑誌「TECH B-ing」をたまたま見つけ、付属CDに掲載されていた約300社全てに「新卒・未経験だが就職したい」というメールを一斉送信しました。

結果、翌日には200社から不採用の通知が届きましたが、2社から内定を獲得。小さなIT企業に就職できました。

作曲家としてメジャーデビュー

IT漬けの日々を送る中、当時ファンだったモーニング娘。の横浜アリーナ公演を観に行った際に「こんな大きな会場で歌われる曲を、自分も作ってみたい」と衝動的に思い立ちます。

彼は、後先を考えずに編曲を手がけていた鈴木Daichi秀行さんに、未熟な自作曲を突然送りつけるという行動に出ました。

「幸運にもこの行動がご縁となり、鈴木さんからは音楽以上に、人としてのあり方について多くのことを教わりました。世間を知らなかった僕にとっては、東京での父であり兄のような存在で、今でも深く感謝しています」

その後、IT企業を退職した松井さんは、アルバイト、その後、会社員をしながら作曲に没頭する日々を送ります。鈴木さんに紹介を受けた作曲家からチャンスをもらい、33歳で声優・新谷良子さんの「ギミーシェルター」でメジャー作曲家デビューを果たします。

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