《新谷良子さん、水樹奈々さんの楽曲を制作》「数学0点」「不登校気味」だった彼が3浪を経て作曲家として活躍できているワケ

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松井さんの強い希望に押されて最終的に受験と塾通いの両方を認めることになった母親は後に「楽しそうに塾に通う姿を見て、不安になった」と、複雑な心境を語りました。

こうして松井さんは、札幌教育大附属中学校を受験します。学力的には合格圏内でしたが、当時の制度では試験前に志望者の半数を抽選で落とす仕組みで、くじに外れて試験も受けられないまま不合格になりました。その結果、地元の公立中学校に進学することになります。

「僕が行った中学校は当時札幌市内でもっとも荒れている中学校でした。同学年の不良が刺されて亡くなる事件もあったくらいです」

そんな環境の中、入学直後の試験で同学年約300人中1位を取った松井さんは、その後も成績上位を維持し、自由な校風で知られる、北海道屈指の進学校・札幌南高校への進学を志します。

「両親からは『自宅に近くて無理なく通える札幌東高校にしないか?それか父の転勤先・網走に家族で引っ越して現地の高校に通わないか?』と提案されました。ですが、父親には網走へ単身赴任をしてもらい、僕は札幌南高への進学を目指しました」

この後、熱望していた札幌南高校に無事合格。しかしその先には、苦難の日々が待ち受けていました。

高校時代の松井さん、愛犬と共に(写真:松井さん提供)
高校時代の松井さん、愛犬と共に(写真:松井さん提供)

漸化式が理解できなかった

札幌南高校には、同学年約550人中、上位半分の成績で入学した松井さん。動物好きだったことから、大学は獣医学部を目指します。

夢の実現には数学が不可欠だと考え、その他の科目には目もくれず、数学一本に絞って勉強することに。しかし、この決断が彼を苦しめる要因となっていきました。

「入学から間もない1年生の夏前には早くも数学につまずいてしまいました。特に『漸化式』がまったく理解できず、札幌医科大学に通う大学生を家庭教師につけてもらうなど、家族の支えもありましたが、状況を改善することはできませんでした」

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