《新谷良子さん、水樹奈々さんの楽曲を制作》「数学0点」「不登校気味」だった彼が3浪を経て作曲家として活躍できているワケ

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松井さんは北海道札幌市で生まれ育ちました。

幼少時の松井さん、6歳下の妹、志乃さんと共に(写真:松井さん提供)
幼少時の松井さん、6歳下の妹、志乃さんと共に(写真:松井さん提供)

祖父は東京教育大学(1978年に閉学した、筑波大学の母体となった大学)で、父は北海道大学や東京農業大学等でロシア文学を教え、親子そろってロシア語辞書の編さんに関わるなど、語学に縁のある家庭で育ったそうです。

勉強だけはできた幼少期

松井さんは幼少期、書道・絵画・剣道・水泳・ピアノなど多くの習い事をしていましたが、いずれも上達せず、小学校も不登校気味で、得意なことも見つからない日々を過ごしていました。ただ、不思議と勉強だけは苦にならず、テストではいつもいい点を取っていました。

小学校高学年になると、自らの意思で、札幌教育大附属中学校への受験を希望。「塾に通って受験勉強がしたい」と親に申し出ました。

しかし母親は2つの理由から難色を示しました。

ひとつは「何も得意なことがないまま、勉強だけができる子にはなってほしくない」、もうひとつは「塾に通ってまで勉強にのめり込んでほしくない」という思いがあったからです。

「受験勉強は、他の習い事と違って“正解がある”世界でした。上達しているかどうかを先生の“感覚”で判断されるものが苦手で、特にピアノはその曖昧さが強く、正しいと思って弾いても怒られることが多く、そうした種類の習い事はつらかったです。

一方で、小学生当時の僕には、結果と答えがはっきりしている試験は容易な達成感が得られやすかったです。今思えば、単に“わかりやすい世界”に逃げていただけだったのかもしれませんが」

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