銀座「KK線」の廃止、首都高「八重洲線」の”10年間通行止め”が示す≪高速道路の世代交代≫。アナログ写真とともにその歴史を振り返る

✎ 1〜 ✎ 8 ✎ 9 ✎ 10 ✎ 11
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
兜町付近
(写真:1967年9月16日、東洋経済写真部撮影)
兜町付近
(写真:1967年9月16日、東洋経済写真部撮影)
兜町付近
(写真:1967年9月16日、東洋経済写真部撮影)

こちらは、日本橋からも近い、証券街である兜町付近。現在の前の代の、旧東京証券取引所の円形の建物が懐かしい。この近くの首都高江戸橋ジャンクションは1963年に開通。これは首都高速道路初の分岐部だった。

後に江戸橋ジャンクションは、首都高6号線とも川の上で接続し、その地下を通る地下鉄1号線=都営浅草線とも同時に施工しなければならないという難工事区間だった。

写真では、証券取引所付近にはまだ楓川の水面を認めることができて、鎧橋も見えるが、今後この楓川の上には、箱崎、駒形、向島につながる首都高6号線が建設される。

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事