
上の写真は、1964年8月2日に部分開通した中央環状線の神田橋ジャンクション付近。首都高は神田橋から東京駅付近で国鉄線路上を越え、常盤橋地区を経て、さらに日本橋上を越え、江戸橋ジャンクションへ至る。
この区間の高速道路は、日本橋川の上に建設されている。オリンピック開会までに、都心と会場をつなぐ高速道路を完成させることが最重要課題であったため、高速道路のほとんどは用地買収の必要のない運河や水路、川の上や、それらを埋め立てた場所に建設され、これにより、江戸以来の水都・東京の風景は失われた。
日本橋の”風景復活”は2035年ごろを予定
そうしたオリンピック開催と高度経済成長の勢いに呑まれて、江戸東京の中心にあり、この都市のランドマークであるお江戸日本橋の上が高速道路で塞がれることになったわけだが、この風景はその後数十年にわたり、東京一恥ずかしい風景として語り継がれることになる。
そして2005(平成17)年の小泉純一郎政権下、この日本橋上に空を取り戻すプロジェクトが立ち上がったが、巨額の費用負担やリーマンショックなどがネックになり、一旦頓挫。
しかしその後、首都高の更新プロジェクトが立ち上がり、日本橋、常盤橋地区の都市再開発が進められることで、実現の運びとなった。
この4月5日に八重洲線が長期通行止めとなり、今後、神田橋から江戸橋間の地下化工事が進められていく。2035年頃、約70年前の天空を塞がれていない日本橋風景が復活することになるはずだ。
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