
3月に入って、インターネット上では、東京都中央区を走るわずか2kmの“首都高速道路風”の路線である、通称「KK線」の廃止をめぐる記事や投稿が増えている。
鉄道の廃止は国内でも珍しくないが、いわゆる「高速道路」の廃止は、おそらく我が国始まって以来の珍事であろう。だからこそ、話題になっているともいえる。
高速道路に興味のある、特に首都圏在住の方には既知の話かもしれないが、あらためてこの特異な道路について、この機に開通から廃止までの経緯をまとめておきたい。
路線長わずか2km、「KK」の名は…
このKK線は、ある意味で「不思議の宝庫」である。
首都高速道路と運用は一体になっているのに経営は別会社。路線長はたった2kmで、最高速度は一般道よりも低い時速40km。とはいえ、歴史は首都高より古い。
この2kmの区間が無料だというのも、ETCが普及した今となってはあまり知られていないかもしれない。

KK線の起源は第2次大戦後、すぐに始まる。戦争で疲弊した東京の顔「銀座」の復興と、今後増加の一途をたどるであろう自動車の通行を銀座の通りから移す目的で、旧江戸城の外堀、汐留川、京橋川を埋め立て、その上に回廊状に自動車専用道路の建設が計画された。
その後、工事が進められ、最初の区間である「土橋~城辺橋間」が開通したのは、1959(昭和34)年6月。これは首都高の最初の開通(1962年12月:京橋~芝浦間)より、3年以上も早い「快挙」である。
ちなみに「KK」の通称名は、当初首都高が官営に近い「公団」での運営であったのに対し、純粋な株式会社として建設・運営に当たったことから、「Kabusiki Kaisya」の頭文字を取って当てたものだといわれている。
現在は、株式会社をKKと略すことはあまりなく、英語では「Co.,Ltd」などと表記することが多いが、筆者が若い頃は会社の略称として比較的よくKKが使われていた記憶がある。
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