
1989年に横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して『横浜博覧会』が行われた(撮影:1989年3月20日、豊永邦男)
カジノに、サーキット場にウォーターパーク――2025年大阪・関西万博の閉幕後、夢洲(ゆめしま)の広大な跡地をどう生かすかが議論になっている。36年前、横浜市も同じ問いに直面した。
1989年の地方博「横浜博覧会」は半年で幕を閉じたが、その跡地はいまや年間約8260万人が訪れる街「みなとみらい21」へと成長している。今回は、みなとみらいが現在の形になるまでをアナログ写真と共に振り返る。
”ウォーターフロント”がブームだった80年代
昭和の末、バブル経済がまだ崩壊していなかった1980年代後半の東京湾岸は、“ウォーターフロント”ブームの真っ只中にあった。
東京では、1987年にレインボーブリッジが着工(開通は93年)。同時期には、神奈川県横浜や千葉県浦安、幕張などでも大規模な湾岸開発が進んだ。

建設中のレインボーブリッジ(撮影:1992年7月8日、吉野純治撮影)
この背景には、世界的な“ウォーターフロント開発”ブームがある。当時、ニューヨークを取り囲む河川や港湾、ロンドンの港湾地区であるドックランズなどで、老朽化した港湾施設を撤去し新たな埋め立て工事や再開発を行い、水辺空間の魅力を高める動きが盛んだった。
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