「ラ・サール合格蹴った」優秀だった彼が"大学受験で挫折" 1浪東大合格で彼が学んだこと

✎ 1〜 ✎ 127 ✎ 128 ✎ 129 ✎ 130
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

こうして、東郷さんは浪人を決意します。浪人を決意した理由を聞くと、「東大に行きたかったから」と答えてくれました。

予備校ではなく高校の「補習科」で学ぶ

この勝負の1年間、東郷さんは予備校ではなく、『補習科』で過ごすことを決めます。

大手予備校が近くにない地域で、普通科の高等学校が大手予備校よりも安い値段で浪人生を受け入れて授業の面倒を見るこの仕組み。岡山朝日高等学校内にも、高校の敷地の中に補習科棟が存在し、浪人が決まった学生はそちらに通って1年を過ごします。東郷さんもこの補習科に通って、1年を過ごしました。

「小さいころから親は、僕にお金の話をよくしてくれました。塾代がどれくらいかかるとか、子どもの自分が何を与えられてきたかなどを自覚させるような教育をしてくれたんです。

だから僕は人に助けてもらって生きているという感覚が強い人間になりました。浪人を決めたのも、東大に行きたいのはもちろんですが、親や、僕に期待してくれた能開センターや、岡山朝日高校の先生のために目に見える結果を出したい、僕に投資してくれた人たちによかったなと思ってほしくて、『東大合格』という成果を持って帰らなければならないと考えていました」

周囲からのプレッシャーを原動力に変えた東郷さんの浪人の1日は、朝早くに補習科に行き、現役生時代と同じように岡山朝日高等学校の教員の授業を5〜6限まで受けて、それから学校に残って自主的に勉強して帰るという生活でした。

こうした日々を続けた甲斐もあってか、河合塾の東大入試オープン、駿台予備学校の東大入試実戦模試、代々木ゼミナールの東大入試プレをそれぞれ2回ずつ、計6回受けましたが、いずれもB以上の判定が出たそうで、入試直前の模試はどれもA判定でした。

「余裕で合格できるという感じではなかったですが、受かってもいいくらいだと思っていました。浪人するとしても1年だけだと心の中で思っていたし、補習科は1年しか通えないので、育ててもらった岡山朝日高校の先生のもとでなんとか合格を決めたいと思っていました」

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事