「ラ・サール合格蹴った」優秀だった彼が"大学受験で挫折" 1浪東大合格で彼が学んだこと

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一度成績を落とすと、戻すのにはそれなりの時間がかかります。高校3年生では理系クラスで15番くらいになり、文系・理系合わせても20〜30番くらいの順位に戻すことはできたものの、「高2〜高3は順位を戻すのに時間を費やしたが、戻り切らなかった」と語ってくれました。

物理の先生から怒られて目を覚ます

成績が落ちてから試行錯誤を続けていた東郷さんですが、志望校についても高校2年生の夏まではなかなか決まらなかったそうで、物理の先生に怒られてしまいます。

「小さいころ医者になりたいと親の前で言ってしまったのですが、心の底では医者になりたいとはもう思わなくなっていました。うちの親は安定志向でしたし、共働きで頑張って学費や塾の費用も捻出してくれていたので、医学部に行かないとは言いにくい状況で、そのうち進路に対して精神的に不安定になったので学校を休みがちになってしまいました。

そのとき、物理の先生に呼び出してもらったのです。『岡山大学医学部か東大にしようと思っています』と伝えたら、『なんで医学部に行きたい?』と聞かれました。そこで、親のことを理由に出したら、『お前は親に行けと言われたから行くのか?お前は親がやれ!と言ったこと全部やるんか!自分が選ばんのか!』という感じで怒っていただいたのです。そこで、自分の人生を考え直して、少なくとも医学部じゃないなと思って、東大に行こうと思いました」

将来やりたい興味領域がなく、大学2年生まで教養学部で勉強ができること、家庭的な事情で親戚のいる岡山と横浜周辺しか進学できなかったことも、東大を志望するうえで大きかったようです。

そうした理由で高校2年生から東大を受験することを決めた東郷さん。

高校3年生の終わりまで能開センターに通い、受験勉強に励んだ甲斐もあって、高校2年生で受けた河合塾の東大入試オープンはE判定でしたが、高校3年生の最後ではC判定まで持っていきました。センター試験の結果は900点中768点で、模試の最高が900点中784点だった彼からすると許容範囲の点数でした。

この結果を受けて、東郷さんは東京大学の理科1類を単願で受験します。しかし、結果は合格最低点まで15点足りずに、惜しくも不合格となってしまいました。

「絶対東大に行くぞ!とは思っていたのですが、成績的にも受かったらラッキーくらいの気持ちで受けていました。C判定だから五分五分だし、落ちていたらもう1年頑張ろうという感じでした。不合格通知をもらってもう1年頑張ろうとは思っていましたし、もう少しだった、惜しかったという感覚はなかったです」

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