駆け出しの蔦重になぜ人気絵師は手を貸したのか
周囲からみれば無謀にも思える挑戦へと突き進むときに、惜しみなく力を貸してくれる人ほど、ありがたいものはないだろう。蔦屋重三郎にとって、浮世絵師の北尾重政はそんな存在だった。
吉原で生まれ育った蔦重は7歳のときに両親が離別すると、引手茶屋を営む「蔦屋」に養子入りすることになった。茶屋の仕事の傍らで貸本屋を営んだことをきっかけに、出版事業に傾倒していく。
安永元(1772)年には、吉原大門口の引手茶屋の店を間借りするかたちで、書店「耕書堂」(こうしょどう)を開業する。
いつの日か自分で本を制作してみたい――。そんな蔦重の夢がかなったのが安永4(1775)年のこと。遊女らを花に見立てた『一目千本』(ひとめせんぼん)を世に送り出した。このときに、蔦重が絵を依頼したのが、絵師の北尾重政である。


















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