――今の自分を肯定して受け入れたということでしょうか。
「何者にもならない」という選択肢があったことに気づけて楽になれたところがあったのかな。諦めたんですよね。この時点では、自分はもうこの先もファッションの仕事をすることもないだろうと思ったんですけど、後ろ向きな諦めというわけでもなくて。そういう選択肢でもいいじゃないかと思えました。
でも、そこから、また本格的に人生がハードになっていくんですけど……。

――いつ、どんなハードな転機がありましたか?
40代後半からです。子供の受験が大変だった時期に、今度は義母の介護が始まりました。夫は他の女性の元に行って家に帰ってこなくなって、ワンオペで子育てと介護をすることに。
そこから、51歳までの数年間は、最もハードでもうあまり記憶もないほどです。何とか毎日やってましたけど、今振り返ってみると、体はギリギリだったなと。
当時は常に全身が冷えていたし。味覚や嗅覚など五感も弱っていたのか、自分が日々使っているシャンプーの香りすら感じなくて。ずっと後になってから、ああ、こんな香りなんだと気付かされました。
――壮絶な日々だったんですね。
当時の写真を見ると、自分を見失っていたことがよくわかります。その時、流行っていたホワイトデニムを着ているものの、びっくりするほど似合ってません(笑)。
仕事から離れた後も、ファッションはずっと好きだったし、あの頃だって私なりにオシャレしているつもりだったけど、自分が好きで似合うものを選んでいなかった。自分のことを構う余裕なんてなかった、鏡すら見ていなかったし。自分をおざなりにし続けていたんです。
人生を変える突破口は、ファッションだった
――一方、50歳目前、介護が続いていた大変な時期に、冨永さんは都心のおしゃれなセレクトショップで販売員として社会復帰もされています。
日々いっぱいいっぱいだったんですけど、自分のために何かしなくては心が壊れてしまうとも感じて。思い切って、大好きなファッションに携わりたいと思って、セレクトショップに契約社員として入社しました。
鏡も見ない生活から、いきなり、都心のハイファッションに触れるようになっって。物理的にはますます忙しくなりましたが、精神的には少しづつ前向きになっていって。シンプルに美しいファッションを眺めているだけでも、心が潤って、元気になれたんですよね。
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