52歳から大ブレイク! 30歳でキャリア断念→介護・離婚を経て”大開花”した元主婦 パーソナルスタイリスト・冨永彩心さんに勇気をもらえるワケ

✎ 1〜 ✎ 25 ✎ 26 ✎ 27 ✎ 28
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

――両立は難しかったんですね。

最初は仕事と育児を両立させるつもりだったんです。私は世代でいうと、松田聖子さん世代ですから。子育てしつつもキャリアを積むことへの憧れがあったんです。でも、環境的に難しかった。仕事する時は、義母に娘を預けていたんですけど、迎えに行くたびに「ママがいなくて可哀想だった」と言われて。

何かしら娘に変化があるたびに「仕事のせいで気づかなかったの?」と責められるということが続いて……。義母は世代もあるし、悪気がないことも分かっていました。でも私自身、自分はダメな母親なのではないかという自責の念が大きくなってしまって。心が折れて、もう仕事も楽しめなくなったんです。

冨永彩心さん(撮影:今井康一)

――そこで子育てに専念することを決断されたと。

30代は、子育てを第一にして、お仕事はできる範囲。多くの方が通られる道だと思いますが、パートでお仕事をして、時間になったら娘を迎えに行ってという生活が続きましたね。

――好きなお仕事で、最前線に復帰したいという葛藤はありましたか?

もちろん、ありました。でも40歳くらいまでです。それまでは、子育てとパートに追われながらも、いつか復帰したい、でも、もう何年も離れているから無理かななんて揺れていたし。ずっと“何者でもない自分”がすごく嫌で、何者かにならなければならないと思っていました。

でも、40代を迎えて、吹っ切れました。

40歳・もう何者にもならなくていいと思えた

――吹っ切れたと言いますと?

「もう何者かにならなくてもいい。何者でもない人生でもいいと」心から思えるようになったんです。

――気持ちが変化したきっかけは?

年齢や経験もあると思いますが、キッカケは谷川俊太郎さんの詩集かもしれません。「わたし」や「生きる」など谷川さんの詩は、「私は私でいいし、何者かになる必要はない」と自然と思わせてくれました。

今の私……子供を育てて、家事をやって、日々を懸命に生きている自分でいいんだと思えるようになって、すると、キャリアについて悩まなくなったかなと。

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事