憲法と教育の視点で見る「日本の教育」のねじれ 木村草太さんと内田良さんの対談から考える

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木村同じ構造は、教師と保護者の間にも当てはまります。モンスターペアレントという概念がありますが、これが問題含みなのは、「ハラスメント」か「正当なクレーム」かの認定権限が、教師側にあることです。正しい申し立てだったとしても、モンスターペアレントと言えてしまう。

他方で、モンスターペアレントに相当する教師を表す概念はあまり広がらない。ここには、保護者側からの不当要求は過大に受け取られる一方、教師側が正当な要求に対応しないことは過小に見積もられるという構図があると思います。

だから、学校にまつわる概念は、「教師には非常に大きな権限がある」という前提で組み立てないと、恐らくうまく機能しない。

教師の関与の「見える化」が必要

内田:学校における教師と子どもの関係には、「非対称性」があるんですよね。

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例えば、教師が何らかの教育実践に取り組んで、子どもがこう変わりましたと説明するとします。その際に「子どもの変化」を強調しがちです。

実際には、見えないところで教師が相当な勉強や準備をして、子どもの変化につながっている。それにもかかわらず、教師が語る実践は、子どもたちがみずからの力で変わったように披露される。

というのも、教師はどうしても子どもを立てる傾向がある。子どもの頑張りを強調して、自分の関与を見えなくさせるんです。

それは子どもの成長にとってはメリットが多い一方で、教師が権力者として物事を動かしていることが不可視化されます。教育現場を考えるうえでは、教師の関与というものを冷静に見える化して、評価しないといけません。

木村 草太 東京都立大学大学院法学政治学研究科教授

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きむら そうた

1980年神奈川県生まれ。東京大学法学部、同大学院法学政治学研究科助手を経て、2016年より東京都立大学大学院法学政治学研究科教授。専攻は憲法学。平等原則、差別されない権利、子どもの権利を中心的なテーマとして研究に取り組みながら、講演会や新聞、テレビなどマス・メディアを通じた情報発信を続けている。著書に、『憲法の創造力』(NHK出版新書)、『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』(晶文社)、『憲法という希望』(講談社現代新書)、『自衛隊と憲法』(晶文社、のち増補)、『子どもの人権をまもるために』(晶文社、編集)、『「差別」のしくみ』(朝日選書)、『憲法』(東京大学出版会)など多数。

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内田 良 名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教授、放送大学・客員教授

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うちだ りょう / Ryo Uchida

名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教授、放送大学・客員教授。消費者庁消費者安全調査委員会専門委員。福井県生まれ。名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士課程を単位取得満期退学。博士(教育学)。愛知教育大学教育学部講師などを経て現職。教育現場における、スポーツ事故・校則・体罰・いじめ・教員の長時間労働といった「学校リスク」の事例を社会学的に研究している。著書に、『いじめ対応の限界』(東洋館出版社)、『教育現場を「臨床」する』(慶應義塾大学出版会)、『部活動の社会学』(岩波書店)、『教育という病』(光文社新書)など多数。

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