高校3年生の年齢で受けた最初の受験がほろ苦い結果で終わった彼は、浪人を決断します。その理由は「今の社会だと、高校を出ていない自分はまずいと思った」ことだと語ってくれました。
「シェアハウスや自分の家族など、周囲に大卒者が多かったですし、なんとなく自分の経歴では仕事に就くのが難しくなるんじゃないかなという危機感がありました。あとは、純粋に父親が北海道大学の卒業生なので、親を超えたいなという思いがありました」
こうして親に浪人したいと告げた彼は、シェアハウスから実家住まいに戻り、浪人の1年を始めます。
予備校には通いたいと思い、体験授業を受け始めましたが、すでに夜型の生活になっていた彼は、授業で遅刻や欠席を重ねます。
そのため、「体験授業すら行けないやつが、1年も通えると思えないから費用は出さない」と親に言われて、アルバイトをしながらの浪人生活を余儀なくされました。
「最初は2年計画でした。1浪目で2浪目に通う予備校のお金を稼ごうと思って、高田馬場のケバブ屋に8時〜17時まで週5回入って、そのあと居酒屋で週3回夜まで働き、1カ月で20万円を貯めました」
20歳上の彼女に振られて、勉強にさらに注力
しかし、彼のこのアルバイト生活は5月末には終焉を迎えます。それは、20歳年上の彼女に振られたことがきっかけでした。
「いつも英単語帳を見ながら彼女の話を聞いていたため、相手が怒ってしまいました。振られてショックで自暴自棄になりかけました。
なんとかしなければならないと思って、中学校のときに通っていた地元の塾に行って勉強をしたいことを告げると、国語と英語を月2万円で教えてもらえることになったんです。
それで、6月くらいからはアルバイトを辞めて、1日6時間ほどの勉強を始めました。9月には、以前住んでいたシェアハウスに顔を出したら、ちょうど政治経済の教師がいて、その人に勉強を見てもらえるようになりました。それからは1日12時間の勉強をこなしました」
秋以降はずっと自習室にこもっていたために精神的に追い詰められ、何度も大声を出したくなる衝動をおさえていたそうです。
そんな彼の当時の志望校は、なんとなく憧れがあった早稲田大学だったため、主に勉強していたのは試験で問われる文系3科目でした。
特に政治経済は、先生の教え方がすごくはまったようで、河合塾の全統マーク模試で国語・英語の偏差値は50程度でしたが、政経では84.7という、全国で1桁に入るレベルの成績を叩き出しました。
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