「京大3回不合格」20歳上彼女に振られた彼の変化 浪人を重ねたことで、彼が学んだこととは?

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けいちゃんさんは北海道生まれ。父親は成田近辺で勤務し、大学を卒業した母親は専業主婦でした。

彼は、生まれてすぐに父親が勤務していた成田の近くに引っ越し、幼稚園のときには父親の異動に伴い、同県の市川市に引っ越しました。

幼少期にはスイミングスクールや器械体操、サッカーなどの習い事をさせてもらっていた彼は、小学校時代は「おとなしく、不思議な子」であったそうです。

「成績は平均より少し上くらいでしたが、特定の知識を覚えるのにこだわる子どもでした。それぞれの国の首都の名前に興味を持って、それを覚えることにとても時間を費やしていました」

その細かな知識に興味を持って覚えた日々は後々、自身が受験で地理を選択するときに生きたようです。

親の方針で中学受験をしなかった彼は、そのまま公立中学校に進学し、サッカーをやめてソフトテニス部に入ります。

中学校では、中学受験をする上位層が抜けたこともあり、中学1年生の定期試験で200人中30位程度の好成績を確保していました。

しかし、中学2年生で200人中180位近くまで成績はガタ落ちします。

「うちではゲームを禁止されていました。でも、お小遣いを貯めてiPod touchを勝手に購入して、隠れてゲームをするようになったんです。朝の5時までゲームをして、少しだけ寝て学校に行くようになりました。頭がフラフラするから部活もやめた結果、生活リズムがガラッと変わりました」

高校に進学したものの…

のちに親にiPod touchを持っているのがばれて一悶着あったそうですが、中学3年生のころには改心し、地元の小さな塾に通って真面目に勉強を続けました。その結果、中学校最後の試験では200人中3位にまで上り詰めることができました。

「中学2年生で20点だった英語のテストが、中学3年生では90点になった」というジェットコースターばりの乱高下を繰り返したけいちゃんさん。

定期試験の成績はよくなったものの、理科と社会は苦手だったため、それらの科目を使わなくても受験できる私立の高校に狙いを定めます。

その中で、入学式などの学校行事以外は制服が自由である、国際基督教大学高等学校を第1志望に設定しました。しかし、頑張ったものの、合格するのがきびしそうだったために出願を諦めた彼は、千葉県立幕張総合高等学校を受験して合格しました。

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