蔦屋重三郎が書店開業!その裏で売れまくった本 恋川春町の「金々先生」いったいどんな作品?

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大河ドラマ べらぼう 蔦屋重三郎 恋川春町
太秦映画村 吉原通り(写真: kouyunosa / PIXTA)
今年の大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』は横浜流星さんが主演を務めます。今回は蔦屋重三郎が書店経営に乗り出した頃に、大ヒットを飛ばした恋川春町について解説します。
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ついに吉原細見の出版に乗り出した重三郎

江戸時代中期に活躍した出版人・蔦屋重三郎(1750〜1797)。その活動の原点は、20代(1773年)のときの書店開業でした。江戸・吉原の情報誌「吉原細見」の小売りから、彼は書籍に関わる仕事をスタートしたのです。

「吉原細見」は、かつては複数の出版社が刊行していましたが、重三郎が開業したころには、鱗形屋という江戸の老舗出版社が刊行するのみとなっていました。重三郎は、まず、この鱗形屋の系列に入って、活動していくことになります。

さらに書店のみならず、出版社としての仕事を安永3年(1774)から始めた重三郎。遊女の評判記『一目千本』を出版し、翌年には、「吉原細見」である『籬の花』を刊行しました。

これまで、重三郎は「吉原細見」の小売りの立場でしたが、いよいよ同書を出版する立場になったのです。

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